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【2日目】「床」の話
〈さあ、ボチボチ晩ご飯呼ばれに行きましょか〉
それまで楽しそうに話していた茉莎実の祖母が、そう言って立ち上がった。
〈ちょっと早い目どすけど、川床 で鮎でもいただきましょか?〉
〈鮎だって、鮎!〉
さすがの上海でも、なかなか口にするのが難しい旬の川魚を食べられるとなって、こう見えても生粋の日本人である百瀬茉莎実は大喜びだ。
〈鮎って、魚の鮎?〉
日本通の小敏も、旬の食材が食べられるとなり、はしゃぎだす。
そんな小敏の様子に、煜瑾の期待も高まり、ワクワクした表情を隠さない。
「何?おばあさまは、なんておっしゃっているのですか?」
煜瑾は、もどかしそうに茉莎実に迫った。
「あ、ゴメンね、煜瑾。おばあちゃんが『川床 』で、鮎を食べさせてくれるって。ああ、鮎っていうのはね、初夏の名物で…」
「床 (ベッド)?」
茉莎実の言葉に、煜瑾はビックリして声を上げた。
「ベッドでお食事をするのですか?しかも川の中にベッドがあるのですか?」
想像もつかない話に、煜瑾は好奇心いっぱいに目を輝かせている。
「は?」
煜瑾の期待の意味が分からず、茉莎実はキョトンと間の抜けた返事をする。
「床 って言うから話がややこしいんだよ」
「あ~、そういうことか」
小敏に言われて、ようやく合点がいった茉莎実は、ちょっと頭を整理して説明を始めた。
「え~っと、京都には『川床 』と『川床 』というのがあってね。暑い京都の夏を、川風に吹かれることで、涼を取って乗り切るっていう、昔の人の知恵なの」
もったいぶった茉莎実の説明に、煜瑾は大きく清純な黒い瞳をキラキラさせている。
「『川床 』は、鴨川沿いの有名なイベントになってるから、床 を立てる期間も決まってるけど、今夜おばあちゃんが連れてくれるのは、貴船 の『川床 』だから、夏まで待たなくても、川の上で初夏の新緑とか、味覚とかを楽しめるってわけ」
「鮎とか」
舌なめずりしそうな勢いで小敏が言うと、煜瑾はクスクスと可憐に笑った。
「同じ『川床 』でも、場所によって『川床 』だったり『川床 』だったり、難しいのですね」
やっと得心した煜瑾は、大きく頷き、これから行く先を楽しみに、周囲に明るい笑顔を振りまいた。
「でもそれも、実際に行ってみることができるなんて、とっても嬉しいです」
「Everyone, The taxis have arrived!(タクシー、来ましたえ)」
その時、茉莎実の祖母の声が玄関の方から聞こえ、4人は慌ててそちらに向かう。
「貴船は寒いから、ビックリすると思うよ」
茉莎実に言われて、煜瑾は文維と顔を見合わせる。
期待に胸を膨らませ、茉莎実は祖母と1台目に、3人のイケメン上海人は2台目のタクシーに乗り、洛北の奥座敷と呼ばれる貴船の料亭へと夕食に出かけたのだった。
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