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第9話 困ったこと

「おい、太一。ちょっと困ったことがおきた」  太一が仕込みをしているところへ、仕入れに行っていた隆二が戻ってきた。 「どうしたんっスか? またマグロが手に入らねぇとか?」  太一は顔を上げずに作業をしながら問い返す。開店前の準備で忙しいのだ。 「すっぽん屋が倒産した」 「なんだって……!?」  すっぽん料理は太一の店の目玉料理である。  高価なすっぽんをなじみの業者から半値近い安値で仕入れていた。  それでもこの店のように値段の安い居酒屋では、ギリギリの仕入れ単価だった。 「まずいな……他店じゃあ倍の値段だろ?」 「ああ、他の業者も当たってみたんだが、よその店もすっぽんを取り合ってる状態だ」 「で、今日の分は? 手に入ったのか?」 「ああ、なんとか一匹だけな。それでも倍の値段だ」  隆二はやっと手にいれた少し小さめのすっぽんを見せる。  この小ささでは十分な生き血はとれない……と太一は心配する。 「それでな、お前に相談があるんだ。俺はすっぽん料理はやめてもいいと思ってる。もともと儲けはねぇし、一時期に比べたら人気も落ちてる」 「それはダメだ! ヨシュアが……」 「そうだな。お前はそう言うと思った」  隆二は困った顔をしている。 「ヨシュアはその……病気なんだ。すっぽんの血が効いてるらしいんだよ」 「そうか……そうだよな。毎日あれだけ楽しみに通ってくるんだもんな。ウチの上得意だし」 「なんとかならねぇかな? 俺、探してみるよ。別の仕入れ先」 「心当たりあるのか?」 「ちょっと遠いんだけど……まとめて買えば安くしてくれるかもしれねぇし、生きたまま買えばロスも出ないだろ?」 「じゃ、この件はお前に任せる。俺は心当たりがねぇんだ」 「わかった。明日にでも探してくるよ」  太一は頭の中で必死で知っている仕入れ先を思いめぐらせていた。  その深刻な様子に、隆二は思わず問いかける。   「なあ、太一。ヨシュアの病気ってなんだ」 「いや、たいした病気じゃないんだけど……そのアレルギーのひどいの、っていうか……」 「まあ、深くは聞かねぇけどよ。お前がずい分必死になってるからさ。毎日小瓶に生き血をつめて、渡してやってるんだろ?」 「知ってたのか……」 「まあ、どうせ生き血なんて売れないから、構わねぇんだけどさ。お前、どうしてヨシュアのことになるとそんなに必死になるんだ?」 「俺は……ヨシュアが可愛いんだ。なんていうか、素直で危なっかしくて、俺になついててさ」 「まあ、その気持ちはわからないでもないな。お前がころがりこんできた時もそうだった。俺はお前が可愛かった、危なっかしくてな」  ケンカばかりしていて、捨て鉢になっていた太一の面倒を見て、料理人に育てたのは隆二だった。  身よりのない太一にとって、ふたつ年上の隆二は実の兄のような存在だ。 「ま、関わっちまった以上、守ってやるんだな。ヨシュアはほんとにお前のことが好きみたいだしな」  俺がヨシュアを守る……?  そんなことが本当にできるのか。  ヨシュアの方がよっぽど強いじゃないか。  何百年も生きられて、治癒能力があって。  ああ、だけど、ヨシュアは日本ではすっぽんがないと生きられないんだ。  とりあえず、万が一の時のためにこのあたりのすっぽん出してる店を調べておかないと。  すぐにでもすっぽんを探しに行きたい気持ちを抑えて、太一は開店準備をしていた。    翌日太一は走り回った。  あちこちに頭を下げて、電話をかけまくって、ようやくすっぽんを売ってくれる業者にたどりついた時にはもう開店時間ぎりぎりだった。  今日は隆二がひとりで店の準備をしてくれている。  急いで店に行くと、ヨシュアがもう来ていた。 「あ、太一。今日はどこかに出かけてたんですね」  ヨシュアはにこにこと笑って、暢気に話しかけてくる。 「ヨシュア、すまない……今日、仕入れの手違いですっぽんが手に入らなかったんだ。だけど、明日には必ず手に入れるから。我慢できるか?」  太一の必死な様子に、ヨシュアは目を丸くして、それから穏やかに笑った。 「大丈夫です。実は今、それほどお腹がすいていません」 「お腹すいてないって……ヤセ我慢するなよ。昨日のすっぽんも小さかったから、いつもより少なかっただろ?」 「実はこの間、タイチの血を少しもらったから……あれからあまりお腹がすかないのです。人間の血はちょっとでも長持ちするみたいで」  ヨシュアは声をひそめて太一に言った。  本当か?  もしそれが本当なら…… 「それでタイチは走り回ってくれてたんですね。すみませんでした、ボクのために……でも、ボクは大丈夫ですから」  太一はヨシュアの話など聞いてない様子で、夢中で調理場へ走っていくと、包丁を握りしめた。 「タイチっ! 何するんですかっ!」  右手に包丁、左手はまな板の上。 「や……やめてっ!タイチっ」  太一はためらいもせず、左手の指先を鋭い包丁で傷つけた。  すっぱりと切れた深い傷から、瞬く間に血が流れ出す。 「ヨシュア、治してくれよ……ケガしたから」 「なんで、こんな馬鹿なことを……こんなことをしてもらってもボクは嬉しくありませんっ!」  ヨシュアは目に涙を浮かべて、飛びつくように太一の指を口に入れた。 「ヨシュア……こんなんで足りるのか? 本当に?」  傷がなかなか治らないのか、ヨシュアはぽろぽろ涙をこぼしながら、太一の指をくわえている。 「ヨシュア、俺の血はうまいか?」  うんうん、とヨシュアは子供のように首を縦に振る。  ものの2、3分で傷はすっかりふさがった。  でも、ヨシュアは怒っている。 「タイチ、もう2度とこんなことしないでください。でないと、ボクは自分で自分のことが嫌いになってしまう……」 「分かったよ、今日だけな。明日からはまたすっぽん探してきてやるから」  

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