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14. 東矢(・)

「...はよー」 「おはよう、佑。...寝癖ついてるよ。」 「あ?気にすんな。」 「気になるよ、そんなに跳ねてたら。」 「っせーな、なら見んな。」 玄関から出てきた佑といつもと変わらない会話を交わす。 『もう大丈夫なのか』なんてない、何事も無かったかのような態度。 「あっちー...黙れ、セミ。」 「セミにあたらないで。」 昨日プリントを届けてくれた時と同様、この間のことには何も触れないでいてくれる。 それが俺の心を軽くする。 心配されたい訳じゃない。 同情されたい訳でもない。 ただ、忘れたい。 それが伝わっているかのように、佑はいつもと何も変わらないでいてくれている。 触れないでいてくれる。 「夏休みどっか行くか?」 「あ、釣り行きたい。海釣り行こうよ。」 夏休みの計画を立てながら自転車を走らせた。 住宅街を抜け川沿いの道を通れば、もうすぐ堤防に上がる。 瞬間、心臓がズキッと痛んだ。 言い知れぬ不快感が腹の底から沸き上がる。 そして... 『怖い』 「海釣りな。ん、良いぜ。あ、東矢。」 「....ん?」 ハンドルを握る手に力を込め、ペダルを踏む足が止まらないように意識していれば名前を呼ばれた。 「近道しようぜ。」 「え...」 そう言うと佑は通学路とは違う、国道沿いの道にハンドルをきった。 別に初めて通る訳じゃない道。 けど朝にここを通ったことは無い。 だいたい...近道ですらない。 「......ありがとう」 前を走る佑の後ろ姿に小さく呟く。 「んあ?何か言ったか!?」 「何でもない!前見て!前!」 振り返りながら大きな声で聞いてくる佑に笑いながら答えた。 それを確認したのか、佑がニカッと笑う。 その太陽のような笑顔が眩しく見えた。 学校まであと少し。 横断歩道で信号を待った。 道の向こうには同じように信号が変わるのを待つ高校生達がいて、その光景はいつもと何一つ変わらない。 毎朝見る風景の一つ。 なのに、 その中の一人...俺達と同じ、普通の夏の制服を着た男子学生から目が離せないでいた。 青と黒のスクールバッグにジャラジャラと付いたキーホルダー。 車体にラインの入った自転車。 そして何より...あの背格好 まさか.... 車が通る音すら遮断するかのように、自分の心臓が煩い。 なのに、体から血の気が引くような感覚。 金縛りのように固まったまま視線を外せずにいると、向こうも俺に気付いたのだろう。 友人と笑いながら話していたその男が、俺を見て一瞬固まる。 次いでその口の端がクッと上がった。 「...!!!」 それで十分だった。 間違いないアイツだ アイツがあの日、俺にあんなことをした。 あの時感じた息遣い、声、体温、体をまさぐる感覚、無理矢理握らされた熱、そして痛みと匂い... 疑いが確信に変わると共に、全てがフラッシュバックし体がガクガクと震えだす。 恐怖と不快感。 それと同時に、腹の底が熱くなるほどの怒りが沸き上がる。 「...ざけんなよ、」 「東矢?」 呻くような声が自分の口からもれ、それを佑が拾った。 やがて信号の色が変わり一斉に人が動き出す中、俺はその場に縛られたかのように動くことができなかったー。

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