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29 東矢

「戻ったか?」 「え、あ…うん」 気付けば男の体は離れ、脇に回っていた腕はなくなっていた。 代わりに聴こえてくる男の呻き声。 真っ赤にした顔とは正反対に白くなっていく手先。 佑がどれ程の力を込めているのかが分かる。 「う゛あ…離せ…!」 「あ?ケンカ仕掛けといて、なに命令してんだよ。」 「邪魔したのはそっちだろぉが…!ってえ、離せ!!」 「あ、ごもっとも」 「同意すんな、東矢。」 腕を捻られたままの状態で喚く男を一瞥すると佑は大きくため息をついた。 「ったく、次は容赦しねぇからな。」 「わかった、わかったから…!!」 そう言って突き飛ばすように腕を離せば、男は「くっそ…!」と呻きながらその場を去っていく。 「…………………」 「…………………」 何となく無言でその後ろ姿を見送る。 辺りには俺達以外の人影はなく、ただただ煩いセミの鳴き声が熱されたアスファルトに反射して響き渡る。 「…で、いつまでヘタってんだよ。」 「あ、ごめん。」 しゃがみこんだままいれば頭上から声が落ちてきて咄嗟に謝った。 けど、 「………どうした?」 「ごめん、ちょっとだけ待って…」 照りつける太陽と、喧嘩して汗ばんだ体、殴られて痛む頬。 その感覚が見事に感じられない。 「…………………」 震える手を見つめた。 暑さとは違う汗が額を流れる。 心臓が大きく動く。 なんだ、これ。 フラッシュバックでこんななるのか。 いくら何でもこれはないだろ、もう何年も前の話なのに。 自分で自分が信じられない。 あの日のことにこれほど囚われていることが情けない。 「…いい加減にしろよ、俺」 いまだに小さく震える体を叱咤するように足に力を入れようとした、その時。 「え、」 目の前にストンと佑がしゃがむと、グッと力強い手に後頭部を引き寄せられた。 そのまま佑の固い腕が背中に回される。 「……佑」 「ん、大丈夫だ」 名前を呼ぶ自分の声がやけに小さい。 それに応える佑の声はひどく穏やかで。 黒いTシャツの肩越しに見える青い空と傾く太陽。 急に眩しく感じるそれに瞳を閉じた。 「……………………」 無言のまま抱き締めてくる佑の体温と汗の匂い、そしてゆっくりとした息遣い。 あの日の男とも、さっきの男とも違う。 なぜか安心できるその熱に、閉ざされていた感覚が戻っていったー。

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