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首元のあと
一ヶ月ほどの夏休みがあけて、始業の日。いつもは午前の授業に間に合わない時間帯に乗り込むバスを今日は、ホームルームに間に合う朝早い便を目指して起きた。理由はどうしても吉岡に会いたかったからだ。
朝の密集した車内は落ち着かない。優作が乗った時は、座席にも余裕があったが、停留所に停まる度に増えてくる人口密度に窮屈さを感じる。
二駅ほど過ぎて、もうそろそろ吉岡が乗ってくるバス停だと期待し、窓の外を覗いていると、停留所の列の五番目辺りに吉岡の姿を発見した。スマホに視線を落として、無線のイヤホンをつけ、音楽を聴いているようだった。どうせ彼の事だからアイドルの曲かなんかだろう。
バスの開閉音と共に、ぞろぞろと入ってくる人の中で吉岡の姿を見つけると、優作は透かさず顔を俯けた。バスの後方部の前から二番目の左側。幸いにも隣の席は空いているが、吉岡は気づいてくれるだろうか。
自分から声を掛けるなんて、性に合わなくて、窓の外を眺めるフリをするが、意識は常に吉岡の動向にあった。
「隣いいですか?」
視界に制服のズボンが入り、聞き覚えのある声が問うてくる。この声は吉岡で間違いない。内心、胸を躍らせながら、平然を装い、顔を上げる。吉岡も気づいていなかったのか、目が合った途端に瞠目し、口をあんぐりと開けては、
慌てたようにイヤホンを耳から外していた。
吉岡は優作の断わりなしに、座席に腰を下ろして詰め寄ってくる。
「って優じゃん。久しぶり。てか、こんな朝早くにどうしたの?」
「どうしたのって、なんとなく。悪い?」
「悪くない。むしろ優にしては偉いよ」
頭上に吉岡の手が伸びてきて、髪を荒く梳き撫でられる。
優作のことを猫か何かの動物だと思っているのか、彼に頭を撫でられるのは日常茶飯事ではあったが、こんな密接した空間での気恥ずかしさから、手を払い除けた。
ごめん、と謝りながらもどこか嬉しそうな吉岡を見て悪い気はしない。むしろ、驚きと嬉しさがわかり易く口元に表れている吉岡の表情に、こっちまで嬉しくなった。
「優と登校できる日が来るなんて思わなかったなー……」
浮かれている吉岡に同調するのも、彼の独り言に反応するのも気恥ずかしさからできず、優作はバスの窓縁に肘をついては、黙って外を眺めていた。
暫くの道なりを眺めていると『ゆーう』と少し怒気の込められた声音で名前を呼ばれて振り返る。
「ほどほどにしなよ」
「何が」
吉岡の意図が掴めずにそう問うと、眉間に皺を寄せながら、首元を指差してきた。
「ここ、そういうことすんの」
首元で指摘されることと言えば、二週間ほど前に酔いに任せて抱かれた男に付けられた痕だ。稀にあることだし、特に隠すような理由もないだけに、そのまま放置していたが、まさか吉岡に気づかれるとは思わなかった。
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