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三十 鮎川の居ない日
殺風景な部屋の、棚の一角に、犬とも猫ともつかないぬいぐるみが載っている。そのぬいぐるみを見て、岩崎は重いため息を吐き出した。
「……暇」
鮎川が出張に行ってしまったので、岩崎は行く場所もなければ、することもなくなった。鮎川が居れば用事が出来るというわけではないのだが、鮎川はいつでも岩崎を迎え入れてくれるし、会話がなくてもなんとなく居心地が良かった。
(五日とか……長ぇよ……)
寮の中は基本的に人が居る。夕飯もなんだかんだと同期のメンバーと一緒だったし、風呂だって大浴場に行けば誰かしらに逢った。何より、幼いころから岩崎は、一人でいることには慣れていたはずだ。あの頃より、ずっとずっと寂しくない。それなのに、なぜかポッカリと穴が開いてしまったような気分になる。
ぬいぐるみをポスっと叩いて、岩崎はもう一度ため息を吐き出した。
◆ ◆ ◆
この辺りは田舎だからか、街灯が少ない。明かりの少ない道路を駆け抜け、海の傍の道路を走る。海面に月あかりが浮かんでいる。幻想的な光景だったが、胸を満たすことはない。風を切るバイクの音を掻き分け、夜道を行く。
結局、暇すぎて岩崎は外へと飛び出してしまった。寮生活だとあまり走ってやれていない。愛車を可愛がるのは好きだし、走るのは好きだ。無心になって、どこまでも走っていける。風と一体化して、心まで溶けて消えてしまいそうになる。何も考えず、ただ高速で流れていく景色を見る。その行為が、頭の中をクリアにさせていくのだ。
それなのに、物足りない。今までだってずっと、鮎川は居なかったのに。一生逢えないわけでもないのに。
エンジンを吹かして、岩崎は藍色の空の下を走り抜けていった。
「……ふぅ」
寮の駐車場にバイクを停め、ヘルメットを外す。もわっと蒸し暑かった空気が外気にさらされ、心地よく感じた。むしゃくしゃした気分は、いくらか収まったような気がする。それでも、あと四日もある。
(鮎川がいねえと、つまんねえな)
頭を掻きながら、寮の玄関ドアを開く。
ガッ! とドアが音を立てる。岩崎は眉を寄せ、もう一度ドアを引いた。だが、やはりドアは途中で引っ掛かり、開かない。
「――あれ?」
(あ……もしかして。門限?)
しまった。そう思い、ポケットからスマートフォンを取り出す。門限の時間から十数分経過していた。久し振りに長く走っていたので、時間の感覚がなかった。
(まずい)
寮の扉はオートロック式で、時間になると施錠される仕組みだ。ラウンジ近くに誰かいないかと、窓から中を覗き込むが、既に薄明かりが点いているだけで、中に人が居る様子はない。
「や、べー……」
うっかりしていた。どうしようかと、思案に暮れる。
「誰かに電話して……」
そう思い、動きを止める。普通なら、鮎川に電話をしていた。だが、いないのだから、栗原あたりに電話するべきだろう。
(……)
岩崎は少し迷って、スマートフォンを操作した。今まで一度も電話を掛けたことはない。連絡先を聴いたら嫌そうにしていたが、一応教えてくれた。だが、逢おうと思えばすぐに逢える環境下で過ごしていたため、連絡したことは一度もなかった。
(良いよな。電話、しても……)
少しだけ迷いながら、岩崎は画面をタップした。
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