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三十一 電話の向こう

 長距離の移動と支社の人間への挨拶で、すっかりくたびれてしまった。鮎川はネクタイを外してベッドに放り投げると、スーツのジャケットをハンガーに掛ける。狭いビジネスホテルだ。 「はぁ……。明日は朝六時半に起きれば良いか……」  支社の人間と飯を食い、コンビニでビールを買って帰ってきたが、あまり飲む気分にはならなかった。かといってテレビを見る気分でもなく、早々にシャワーを浴びて寝てしまおうかとも思っていた。 「マジで、五日間長いよな……。まあ、今日なんか殆ど移動だけどさ……」  ベッドの端に腰かけ、買ってきたペットボトルのお茶を一口飲む。ぷはぁと息を吐き出して、そのままベッドに寝ころんだ。 「あー。だる……」  ベッドサイドの時計を見て、いつもだったら押しかけて来た岩崎と過ごしている時間だと、ボンヤリと思う。 「……」 (なんで僕は、アイツのことを思い出してるんだ……)  目を閉じると、まだ岩崎の体温が残っている気がする。岩崎が鮎川の傍に来る時、鮎川は彼のことを意識しているわけではない。自然に、居ることを受け入れている。なのに、気が付けば欲望に火が点いて、なんやかんやと唆しては、腕の中に抱いていた。 「そもそも、なんであんなことを……」  我ながら、何を言っているんだと突っ込みたくなる。タンクトップを着るなとか、余計なお世話にもほどがある。 (いや、でも……)  チラリと見えたピンクの乳首を思い出し、(アレは良くないはずだ)と頷く。 「そもそも、僕はどっちかって言えば女の子の方が好きだし、なんなら、昔はそれなりにモテたし……。その僕が、危ないって思うんだから、絶対に危ないだろ……うん」  うち、男子寮だし。なんて、言い訳みたいなことを呟く。 「いやいや、言い訳じゃない。言い訳じゃない。ほら、上遠野とか、『上遠野だったら良いかも~』とかいう馬鹿いるし。うん。気を付けた方が良いだろ」  あれは良くないものだと、自分を納得させるように呟く。ついでに、それに誘惑されるのは自分が悪いんじゃないと、自分に言い聞かせた。  そんなバカみたいな言い訳を自分にしていると、不意にスマートフォンが着信音を鳴らす。何事かと手に取って、通知画面に表示された名前に、心臓がドクンと跳ねた。決して、今、岩崎のことを考えていたからではない。じわりと浮き出る熱に、自分でもよく分からない感情が湧きあがる。 「え……? っと、なん、で?」 (まさか、声を聴きたくなった――なんて、わけ、ないか)  子供じゃあるまいし。そう思いながら、電話に出る。やけに、緊張した。 「も、もしもし……?」 『あ。鮎川』  電話越しに聞こえて来た岩崎の声に、気持ちが弾むのを感じた。 (なんだ僕、寂しかったわけでもあるまいに……。まあ、寮では、騒がしかったから……)  岩崎が入寮してから、殆ど毎日一緒にいたから、居ないことがおかしく思えるのかもしれない。岩崎も、そう思っているのだろうか。そんな期待感が、胸にしみわたる。 「おう、どうした?」 『あのさ。今、ちょっと、困ってて』 (ん?) 「困った?」  どういうことだと、眉を寄せる。何かあったのだろうかと、一瞬不安になった。電話の向こうで、岩崎は言い難そうにしている。 『ちょっと、外出てたら……扉、しまっちゃって……』 「あ?」  チラリ、時計を見る。門限は過ぎていた。どうやら、寮の門限に間に合わず、締め出されたらしい。  鮎川は「はぁー……」と、深いため息を吐き出した。 (なんだ、そんなことか……。まあ、良いんだけど……)  頼りにされたのは嬉しい気がするのに、少しだけ不満が沸き上がった。別に声が聴きたいわけではなかったようだ。 「なにやってんの、お前」 『だって……。アンタいないと、つまんねーし。ちょっとドライブっていうか……』  その言葉に、眉を上げる。自分が居ないとつまらないと、そう言われたことは、少しだけ気分が良かった。感情が、つい声に乗る。 「ばーか。それで締め出されてりゃ、世話ないだろ。……進に言っておくから、動かないで待ってろよ」 『あ、ちょっと待って』  そういう事ならと、藤宮に連絡を入れて扉を開けてもらおうとしたところを、岩崎がストップをかける。 「ん?」 『そっち、どう? 疲れた?』 「――まあ……。まあ、普通。今日は移動と挨拶だけだから」  なんとなく、自分の仕事になど興味ないと思っていたので、状況を聞かれたのはくすぐったい気分だった。 (岩崎は――寂しくて、ドライブ行って来たの? 可愛いじゃん)  素直に懐く岩崎は、多少わずらわしくも、可愛くある。可愛げは、あるのだ。 『ふーん。何食った? 名物とか食ったの?』 「ああ。牛タン。まあ、東京駅でも食えるけど。こっちのが美味いかな」 『あー、タン美味いよな。今度連れてってよ』 「まあ、考えておく」  他愛ない話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。三十分ほど話し込んでしまったことに気づいて、鮎川は慌てて話題を変えた。 「あ、お前まだ玄関先だよな。早いところ鍵開けてもらわないと。もう切るぞ。そこ、動くなよ?」 『あ、うん。悪いなー。じゃ、仕事頑張って。おやすみー』 「ああ、おやすみ」  挨拶を言うのが、やけに気恥ずかしい。名残惜しい気もしたが、ドアの前で立っているのだと思うと、可哀そうだし心配だった。 (進に、急いで連絡しないと)  待ちぼうけしている姿を想像し、何故か胸がもやりとした。 (……?)  違和感に、胸元に触れる。  何かが、引っ掛かった。 (なんだ……?)  想像の中の岩崎は、何故かやけに、小さく見えた。

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