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五十六 親友
夕涼みをしながらラウンジのテラスでボンヤリしていると、藤宮が近づいてきた。鮎川の顔を見るなりフッと表情を和らげる。
「マーキングされちゃったね」
「大分薄くなったんだけどな」
クレンジングオイルを持っているという渡瀬に借りて、洗顔をしたのだが微妙にインクが残っている。そのうち消えるだろうが、すれ違う人みんなに笑われていた。
「岩崎は?」
「部屋で寝てる。アイツ飲めないし」
岩崎は鮎川のベッドを陣取って眠っている。しばらく寝顔を見ていたのだが、なんとなく飲みたい気分になって部屋を出て来たのだ。目が覚めて鮎川が居なかったら、怒るかも知れない。
藤宮が手に持っていた缶ビールに、手を差し出す。だが、藤宮は首を振った。
「自分で開けられる」
そう言って、ぎこちないながらも缶を開ける様子に、鮎川は「……そうか」と呟いた。なんとなく、沈黙が流れる。空は曇っていて、星は見えなかった。湿った空気に海の匂いが混ざる。普段は海の気配はしないのに、こういう湿度の高い日には海の匂いがここまでやって来る。
「寛、俺の荷物まで、持とうとしなくて良い」
「――進」
藤宮の言葉に、なんと返して良いかわからずに、鮎川は視線をさ迷わせた。藤宮は目線を合わせず、ビールを啜っている。
「あの子が来てから、楽しそうだよ」
「……」
「罪悪感を感じる必要はない。あのね、ずっと、言いたかった」
ドキリと、心臓が鳴った。何を言われるのか、少しだけ怖かった。自分はいつも、逃げてばかりだ。
「お前、少し面倒臭いよ」
くく、と笑ってそう言った藤宮に、鮎川は拍子抜けして目を瞬かせた。それから、ホッと息を吐く。
「酷でぇや」
鮎川も小さく笑った。
「……八歳も年下なんだと」
「気にならないよ。寛もちょっと子供っぽいし」
「お前、散々な」
「大人ではないだろ」
ビールを呷りながら、そう言って笑う。確かに、大人らしいかと言われれば、自分でも微妙だと思った。
「いつになったら大人になるんだろうな?」
「多分、十年後も言ってるよ」
「それな」
鮎川はチラリと、横目で親友を見た。多分この男は、鮎川以上に、鮎川のことを知っている。
(どこまで知ってるんだか)
勘が良い奴だから、きっと全部お見通しなんだろうと思うと、少しだけゾッとする。
「進」
鮎川の呼びかけに、藤宮が振り向いた。
「ん?」
「……ゴメン」
鮎川の言葉に、藤宮は返事をしなかった。
「ずっと言えなかった。ゴメン」
謝罪に、藤宮はフッと笑って、鮎川の背中を叩いた。
「よくできました」
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