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彼の匂い

「何、いま、誰の名前呼んだの?遊くん。シャラク?誰それ、男の名前、だよな?」 再び襟元を掴まれて、上を向かされた。高木さんは何とも言えない表情をしている。怒っているような、笑っているような、泣いているような……ただ醜悪だ、と思った。 「遊くん、もしかしてセフレって相手、男?」 「……………」 だから、友達じゃないし、セックスもしてない。何も答えずにいたら、高木さんは肯定と受け取ったみたいだ。 「ふ……っふざけんな!!処女じゃねぇーのかよ、オトコの癖に、このクソビッチの腐れマンコがぁ!!」 最初から勝手に勘違いしてたのはそっちだ。あぁ、でも純粋だなんだと言われるよりもビッチだと罵られる方が心のほうは楽だなぁ。 『遊ちゃんはとってもイケナイ子だなぁ…お父さんを、こんな風に誘惑するなんて…』 後頭部がズキズキする……もしかしたら血が出ているかもしれない。めまいと、少し吐き気もしてきた。目を閉じたくないのに、自然に身体が閉じようとする。 「童貞の俺をずっと馬鹿にしてたのかァ!?ガキの癖に!!ぶっ殺してやる!!」 多分、何もせずにほっとかれたら、僕はこのまま死ぬんじゃないかと思う。なのに嫌だな、また殴られるの……。 「!?」 突然、骨がきしむようなすごい衝撃音が目の前で鳴った。自分が殴られた音だと思ったのに、不思議と身体は痛くなくて。 「……………?」 頑張って、瞼に逆らって目を開けた。ぼうっとする視界の中で高木さんが昏倒していて、その傍には誰か男の人が立っている。 その人は今度はしゃがみこむと、いとも簡単に僕を抱き上げた。もう、目は開けていられなかったけど…… 「しゃ、らく……?」 「喋るな、すぐ病院に連れて行ってやるから」 抱き上げられた胸の中、ふわり、と仄かに馨るタバコの匂いですぐに彼だと分かった。 どうしてここにいるの? 当たり前の疑問が浮かんだけど、それもどうでもいいくらい嬉しくて、僕は意識を失いながら 笑っていたんじゃないかと思った。 * 気がついたときは、もう朝だった。 「……………」 ここは、どこだろう。真っ白な天井に、どこか鼻にツンとくる匂いに、アイボリーのカーテン……何より、騒がしい子供たちの声がしない……病院、だ。 ゆっくりと身体を起こして隣を見たら、写楽が腕を組んで椅子に座り、眠っていた。 「写楽……?」 昨日のことは、少し覚えている。彼が助けてくれたところまで。 もしかして、一晩中一緒に居てくれたの? 「……あ?気がついたかよ」 僕の声で目が覚めたらしい。 「えっと……」 聞きたいことが山ほどあるけど、何から聞いていいのかわからない。ふと頭を触ると、ぐるぐると包帯が巻いてあった。それは意識した途端、痛みだす。写楽は困惑している僕の方へ近づいてきて、言った。 「起きたんならちょっと向こうにつめろ。初めて椅子座ったまま寝たけど首痛ぇ」 そして、強引に僕の寝てるベッドの中へと入ってきた。 「あっ、あああ、あのっ!?」 「お前ももう少し寝てろよ。あ、検査では頭ン中はどーもねーってさ。でも4針縫ってる。あの変態は下半身丸出しにして道路に放置したから今ごろ捕まってんじゃねぇの?病院には階段から落ちたって言ってる。俺があそこにいたのは、お前に話があったからだ。それは後で話す。聞きたいことは以上だろ、分かったらお前もさっさと寝ろ」 「っはい……」 それだけを一気に言うと、写楽は寝息をたてて寝てしまった。なぜか僕を、抱き枕にして……こんな状態で眠れるわけないんですけど!! ああ、でも、目の前に彼がいる 信じられないけど、後頭部の痛みが現実だと教えてくれた。このまま寝てしまったら、絶対勿体ないよね……。  彼が寝ているのをいいことに、僕も思い切り彼に抱きついて、すん、と彼の匂いをたくさん吸いこんだ。 「はあ……写楽……」 「おい」 「え?」 頭の上から降ってきた声に思わず見上げると、彼と至近距離で目が合って、一瞬息が止まった。 「寝ろっつってんだろ。恥ずかしいことしてんじゃねぇよ」 「………っ」 どうやらまだ、起きていたみたいだ。顔から火が出るかと思った……。

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