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写楽の話
親父とあのクソババアは、親父が20、ババアが16の時に結婚したらしい。けど、ババアの方が原因で、3年以上ガキに恵まれなかった。
犬神家は世襲制だから、後継ぎが生まれないのは深刻な問題で、当然不妊治療をすることになったらしい。
だけど、親父はその治療が屈辱というか苦痛で仕方なかったらしい。そりゃそうだよな、愛のない政略結婚だし。それで気晴らしに外に愛人を何人も作り、そしてそのうちの一人に子どもを産ませた。それが、俺だったんだ。
多分、その頃からババアは少しずつ狂い始めていたんじゃないかと思う。でも、それに気付く者は周囲には誰もいなかった。
親父は、子どもを産んだからと言って俺の母親……庶民の女を本妻にすることは無かった。ババアはそれなりの家のお嬢様だったから、ジイさんや周りが許さなかったんだと思う。だからオヤジは女に金を渡して、俺を引き渡して自分たちの前から消えるように言った。
女は最初は渋ってたらしいが、 とんでもない大金を目にした途端、あっさりと俺を手放したらしい。
それからは俺の、地獄の日々の始まりだ。
母親と呼べる人はおらず、父親は忙しいのを理由に俺に構うことはほとんどなかった。俺に対する罪悪感なのか知らないが、金だけは毎月一定額を俺の口座に小遣いとして振り込んできた。けど、話すのはおろか、顔も一切見ようとしないんだ。親父は俺の顔を知らないんじゃないか、と思ってたよ。
そしてババアは、幼い俺を表でも裏でもイビリ抜いた。多分俺を憎むこと、俺をイビることで、まだまともな精神を保てていたんだろうと思う。そんなこと、当時の俺は知る由もなかったけどな。ただ、自分は継母に嫌われていると、それだけはよく理解していた。
学校から帰ったあとも友達と遊ぶ時間なんて一切与えられず、子どもとして扱われることもなく、ただひたすら犬神グループの次期総裁候補として必要な教育をスパルタな講師たちに容赦なく叩きこまれたよ、今の伊織のように。
『国内なら、東大か京大。海外ならハーバードか、ケンブリッジ。それくらい簡単に行ける頭がなけりゃ、誰もお前を犬神家の次期総帥候補とは認めるものですか。薄汚い妾の子が!!』
家の中でババアにすれ違うたびに、俺は身体的虐待と精神的虐待のコンボを受けてた。それでも俺が腐らずに生きてこれたのは、唯一俺をまともな人間として扱ってくれたシズネのおかげだ。
でもシズネはあくまでも使用人だから、俺のことは幼い頃から『写楽様』、『写楽坊ちゃま』と呼び、俺を抱きしめたり、叱ったりすることはなかった。でもテストを頑張ったら褒めてくれたし、 悪いことをやったら何でダメなのかは教えてくれた。
だけど俺が勘違いしないように、決して使用人以上の、親愛の情を抱かないようにきっちりと線を引くことも忘れなかった。そこらへん、仕事熱心なシズネらしいよな。昔はその線引きが淋しかったのも事実だけど……。
クソババアの八つ当たりは幼い俺には本当にきつかったけど、いつしか親父の後を継ぐための弊害のようなものだと思うことにしたよ。そしたら俺自身が段々と、自分は次期総帥なんだという自覚が芽生えてきた。
もっとも周りは、最初から俺が親父の後を継ぐのは当然という空気だったけど。
そして俺が中学2年の頃、大事件が起きた。
ババアが懐妊したんだ、それもほぼ不可能だと思われていた自然妊娠で。ババアは今まで周りに負の感情しかまき散らさない疫病神のような存在だったけど、妊娠したことで何故か性格も一変して、屋敷は祝福ムードで溢れかえってた。
ババアの妊娠中、俺はまるで空気のように扱われてたよ。そして生まれたのは、男女の双子。ババアはその男児の方を、絶対に後継ぎにすると言った。
親父は相当悩んだみたいだったけど、正妻が産んだ奇跡のようなこどもを後継ぎにしないわけにはいかなかったんだ。そして親父は初めて、俺に謝った。
『許してくれ、写楽……本当に、すまない……』
伊織を、犬神グループの次期総帥にする、と。
『ああ、なんてかわいいの、私の伊織!伊織!!伊織!!』
ババアは俺の存在など無かったかのようなマタニティハイだったけど、女の華乃子の方には見向きもしなかった。異常なまでに伊織だけを可愛がるその姿はもう、誰の目にも狂っているようにしか見えなかったよ。いや、もうとっくに狂っていたんだ。伊織と華乃子を産んだことでタガが外れたんだよ。
そして親父が俺の口座に振り込む金は倍になり、シズネは俺の扱われ方に悔しそうな顔をしていたけど、相変わらず何も言える立場じゃなかった。
今まで俺が我慢して生きてきた15年は、一体なんだったんだろうな?俺は一体なんのために、誰のために今まで生きてきたんだろう。
死ぬほどきつい思いをして、さみしい気持ちを堪えて、心を殺して……
そして俺も、誰が見ても分かる形で壊れた。
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