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玲華の秘密

「そんなに恐がらないで?貴方には、何もしないから」 「す……すみません……」  あなた……には?  僕は、しっかりと玲華さんの目を見つめ返した。至近距離で見てもやっぱり綺麗な人だ。  ――恐いけど。 「華乃子には、何をするかわからないけどね?貴方が今日のことを写楽に話したら」 「……話しません!」 「あら、別に話してもいいのよ?口止めでもしたらどう?……でも、そんなことをしたら写楽はすぐに私に報復に来るでしょうね!とっても分かりやすいの、あいつ。犬神家の跡取りの座を奪った伊織のことは憎くて毎日殺そうとしてるくせに、華乃子だけは異常に可愛がっているのよ……小さい女が好きだなんて、本当に気持ち悪い餓鬼」 「………」  写楽にそんな感情も、そんな趣味もないことは僕が一番分かっているけど、好きな人の悪口を聞くのはなんかイヤだ。病気がそう言わせている、としても。 「この子もまだほんの餓鬼の癖に、男と見れば誰にでも色目を使うのよ……貴方にも、伊織にもね。あぁぁぁ、ほんっとうに気持ち悪いわぁ」 「華乃子ちゃんはそんな子じゃありません。だいいち、まだこんなに小さいのにっ……」  僕は、玲華さんが言い終わらない内に自然に華乃子ちゃんの耳を塞いでいた。僕の言葉に、玲華さんはカッと目を見開いた。心外だ、とでも言うように。 「あら。いくら小さくたって華乃子は女よ。遊、貴方まだ女を知らないの?」 「………」 「あぁ、貴方写楽の犬だったわね。てことは、写楽に突っ込まれて悦んでいるの……ほほほ、貴方が一番気持ち悪いわねぇ」  クスクスと意地悪そうな顔で玲華さんが笑う。僕のことに関しては言い返す気はまるで起きなかった。だって、ちゃんと自覚しているから。  ――僕が気持ち悪いってことは。  玲華さんはひとしきり僕を気持ち悪い、気持ち悪いと言うと少し気が済んだようで、いきなりニコッと微笑んだ。 「いい?遊。今度会ったら貴方に私の秘密を教えてあげるから……声を聞いたら、来て」 「声?一体、誰の……」 「私の声よ。決まってるでしょう」 「………」  僕が玲華さんの声を聞いたのは、半狂乱になって伊織くんを探していたあの時だけだ。でもそんなときに僕が行くなんて、絶対に無理だろう。周りには人もいるだろうし……。 「そうねぇ…丁度ゴミ棄て場や台所周辺にいたら、聞こえるんじゃないかしら」 「は?」 「でも、絶対に写楽にバレたらダメよ?……その時は、華乃子をふためと見れない顔にしてやるから」 「ッ……!!」  また、抱き締める手に力が入る。どうして玲華さんはそんなに華乃子ちゃんのことを……。 「うふふ……今日は長話しちゃった。またね、遊。私 貴方と会えて今日はとっても嬉しかったわ」 「………」  なんて返したらいいのか分からない。僕もです、とでも言えばいいのか?僕は全然嬉しくないんだけど……。  でも玲華さんはそんな僕の態度は気にも止めず、クルッと身体を反転させてフンフンと楽しそうに鼻歌を唄いだすと、薄暗い廊下の向こうへと歩いていった。  そのまま 突き当たりの廊下を曲がり、視界から玲華さんの姿が完全に消えたのを確認してから、僕は腰が抜けたかのようにその場にへたり込んだ。  こ……恐かった……。  僕は、はぁっと安堵の息を吐いた。相手がただの女の人ならこんなには恐くない。けど、相手は病気だから何をされるか分からないという恐怖と、犬神家の奥様だから失礼な態度を取ってはいけないという意識が、余計に僕を緊張させていたらしい。 「華乃子ちゃん?」  僕は、ずっと強く抱きしめていた手を緩めて、華乃子ちゃんを見た。 「あれ……?」  華乃子ちゃんは、泣き疲れて寝てしまっていた。  僕は、可哀想だけど可愛らしい寝顔にひとつ笑みをこぼして、抱っこからおんぶへと体勢を変えた。どっちにしろ、まだ腰は痛いんだけど……。  華乃子ちゃんはお着物を着ているから、余計に他の子どもより重たい気がした。もしかしてこの着物は、殴られた時の衝撃吸収の役割もあるんだろうか……ふと、そんなことを思った。 「それにしても……」  ここは、一体屋敷のどの辺りだろう?とりあえず歩いてきた廊下を戻ってはみるけど、どの景色も似たりよったりなうえに、前後左右に廊下は続いている。  僕は華乃子ちゃんをおぶったまま、途方に暮れてしまった。

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