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おかえりなさい
その後僕が取った行動は、作務依と割烹着を着ていなかったら泥棒と間違われてもおかしくないものだった。
誰もいない部屋を見つけてこっそりと侵入し、その部屋の窓から庭に出た。庭をぐるりと回れば、写楽の部屋にたどりつけるはずだと考えたのだ。
だってこのお屋敷、ばかみたいに広いクセに使用人の数はすごく少ないんだ。すみませーん!と声をあげても誰も来てくれないし……。
もちろん履きものはないから、僕は靴下のままで寝ている華乃子ちゃんをおんぶして、土や芝、石ころの上を歩いた。時々足の裏がチクチクして痛かったけど、耐えられないほどじゃない。昨日や今日が雨じゃなくて良かった、と思った。
*
「着いたぁ……」
ああなつかしき、写楽坊ちゃまの部屋!縁側には、煙草の残骸が押し付けられた空き缶が置いてあった。
僕はその空き缶をずらすと、最初に華乃子ちゃんを降ろした。そして靴下を脱いで、縁側に上がろうとした……
「よいせっ……と」
その時だ。
「……遊?お前、どこ行ってたんだ?」
スッと開けられた襖の向こうに、僕のご主人様が立っていた。
「あ、写楽……おかえり、なさい……」
「ただいま」
写楽は、僕と華乃子ちゃんを交互に見ている。僕の汚れた靴下やよれよれになった割烹着、華乃子ちゃんの顔の涙の跡なんかを……。
「……何があった」
「え?」
「今まで、どこに居たんだ」
「っ、その……」
「とりあえず、早く上がれ。その靴下はもう捨てろ。新しいのをやるから」
「………」
僕は何かを察した写楽が少し恐くて、彼の言う通りにした。写楽は華乃子ちゃんを抱き上げて、着物を丁寧に脱がせるとベッドの上に寝かせた。
そして写楽はべッドの上にそのまま腰掛けて、僕はその足元に座布団を敷いて正座をさせられた。
「で、何があった?何で靴も履かずに庭に居た?それに華乃子は何で泣いたんだ」
「それは……」
言えるわけがない。だって写楽に言ったら、玲華さんは華乃子ちゃんを殴ると言ったんだ。ふためと見れない顔にしてやるって……。
写楽に言ったら当然怒るだろうし、日中学校へ行く僕と写楽は華乃子ちゃんを守れない。
でも、今ここで嘘をついてそれをつきとおせる気もしない。
僕はどうすればいいんだろうか……。
「遊、……ババアに会っただろ」
写楽のズバリ的を得た指摘に、僕の身体は派手に震えた。
あ、馬鹿だ僕。こんな反応したら何も言ってなくても認めたようなものじゃないか……。
「それで華乃子は泣いたんだな。で、何を脅された?どこか殴られたりしたのか?」
でも、写楽の声は優しかった。尋問めいたことをされると思ったのに……。
「……その……」
「遊、大丈夫だから俺に屋敷内のことで隠しごとすんな。お前は俺に雇われてんだぞ、仕事中のトラブルは雇用主に報告の義務があんだろーが。……それに、ババアの考えてることなんて丸分かりなんだよ。どうせ俺に告げ口したら華乃子を殴るとかって脅されたんだろ」
「!」
そこまで分かってるなら……。
結局僕は、躊躇いつつも全部正直に話すことにした。
華乃子ちゃんが僕を嫌がって、伊織くんのところに行こうとしたこと。
そこで玲華さんに会ったこと。
華乃子ちゃんを庇って背中を殴られたこと。
写楽に言うなと脅されたこと。
屋敷の中で迷子になったこと……。
『私の秘密を教えてあげるわ』
玲華さんの言った秘密に関しては、僕は何故か話せなかった。
「ババアの考えそうなこったな。……でも、華乃子は大丈夫だよ」
「え?」
写楽はすうすうと寝息を立てて眠っている華乃子ちゃんの頭をそっと撫でた。
「日常的に殴られたりなんかはしてねぇ。シズネが守ってくれてるからな。絢実と史子も。俺の時は守れなかったからって、頑張ってくれてるよ」
「………」
胸の奥が、ズキンと痛んだ。
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