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本物の天使とは
結局僕は夕方まで犬神家に居た。華乃子ちゃんが僕と写楽をそばを離れなかったのもあるし、特に『帰れ』とも言われなかったから。
僕が写楽の側に居たいと思うのは当然のことで……でもいくらなんでも二日連続で泊まるわけにはいかないから、僕は制服を着て帰る準備をした。
「ゆう、かぇるのやー!!もっとかのとあしょんで!!」
「華乃子様、遊はまた明日来ますから……あ、明日は土曜なのでお休みでしたね。月曜日にまた来ますから……」
「やーっっ!!あしょぶのーっっ!!」
僕が帰る前、華乃子ちゃんは盛大にだだをこねてシズネさんを困らせていた。
「遊、華乃子様と随分仲良くなられたんですね。朝はどうなることかと思ってましたが……」
「え、えへへ……そうですね……」
今はお勉強の終わった伊織くんも華乃子ちゃんの隣に居て、激しくぐずる双子の片割れを
今まで見たことがなかったかのように珍しげな顔でじいっと見ていた。
写楽は複雑な顔をしている。昨日までは俺だけにべったりだったのに……みたいな表情で、少し淋しそうだ。
ここまで懐いてもらえるなんて僕は嬉しいけど、こんなに泣かれたらなんだか離れがたい。
もう一泊しようかとも考えたけど、わがままを聞いてばかりじゃ教育に悪いからって写楽に断られた。お兄さんというよりも、教育パパっぽいと思った。
「華乃子ちゃん、今日はたくさん遊んだから疲れたね、夜はぐっすり眠れるよ」
僕は華乃子ちゃんの目線に合わせてしゃがみ込んで、頭を撫でながらそう言った。すると伊織くんが、
「かのこばっかりずるい!ぼくも、ゆうにーたんとあそびたかった!」
と言ったので、僕は伊織くんにも笑いかけて頭を撫でた。
「今度は、伊織くんも一緒に遊ぼうね」
「あそぶ!!やくそくだよ!!」
「うん、約束」
ああ、二人ともなんて可愛いんだろう。久志くんは僕を天使だとか馬鹿みたいなこと言ってたけど、本物の天使はここにいるよ。しかも、二人もね。
「じゃあ遊、行くか」
「うん」
僕は、写楽の横に鎮座している鉄の塊を見て一瞬躊躇してしまう。
「――なんだよ?」
「い、いや……僕、バイクとか乗るの初めてだから、ちょっと恐いっていうか……」
そう、写楽は愛車……カッコイイ青の中型バイクで僕を梅月園まで送ってくれるというのだ。今まで見たことなかったのは、修理に出していたかららしい。前に暴走族とやりあったときに派手に壊されたから時間が掛かったとかなんとか……詳しいことは聞かないでおいた。
写楽はお坊ちゃまだから、乗り物は飛行機はファーストクラス、新幹線はグリーン車、船は一等船室、あとは高級車の後部座席にしか乗らないと思ってたけど、ここにきてまさかのバイクでした。
「ほら、お前のメットだ。被り方分かるか?」
「分かりません」
「……こっち来い」
思わず即答した僕に写楽は少し呆れ気味だったけど、僕が近寄ると上手に後頭部からスポンとフルフェイスのヘルメットをかぶせてくれた。
うわあ、ヘルメットとか被るの初めてだ……なんか重い!
「やっぱり不良にバイクはマストアイテムなんだね!」
「お前ちょっと馬鹿にしてる?」
「めっそうもないです!!」
「すっげー楽しいぞ、バイクは。おら、後ろに乗れよ」
「……つかぬことをお聞きしますが、ちゃんと免許は取ってるんだよね?」
「当たり前だろ……俺をなんだと思ってんだよ」
なんとなく不良の人は無免許で運転するってイメージがあったから、それを聞いて安心した。まぁ写楽はただの不良とは違うから、当たり前かな……失礼なこと、聞いちゃった。
僕は、既にヘルメットを被り愛車にまたがっている写楽の後ろの座席へ、ぎこちない体勢で乗りこんだ。
「後ろに掴むとこ付いてっから、そこ握ってろ」
ちらりと言われた方を見てみると、確かに握るところはあった……けど。
「え……これちょっと恐いから、抱きついたらだめ……?」
こんな頼りない手すりみたいなのじゃ、後ろに吹き飛ばされそうで恐いよ!!
「……お前が恥ずかしくねぇんなら、いいけど」
「うんっ」
恐いより、恥ずかしい方がまし!
僕は、写楽の身体に手を回して抱きついた。するとドゥルルン、と激しく低い音を立てて、写楽はバイクのエンジンをかけた。
「じゃあ華乃子ちゃん、伊織くん、またね!シズネさんも、また月曜日からよろしくお願いします」
「……行ってくる」
華乃子ちゃんと伊織くんは何かを言ってくれてるけど、エンジンの音が大きくて聞きとれない。向こうからは僕の表情は見えないだろうけど、僕は笑って手を振った。
そして、僕を後ろに乗せた写楽のバイクは走り出した。
「う、わぁ……!!」
最初はゆっくりだったけどそれは束の間で、本当に文字通り『風を切る』ように写楽はバイクを転がした。
なんか、なんかすごい!エンジンの音はうるさいし、まだちょっと恐いけど、風がすごくきもちいい!!
でも、剥きだしの腕は風のせいでだんだんと冷えてきた。写楽の身体は制服越しでも温かかったから、僕はもっとその熱を感じたくて写楽のお腹に回している腕に力を込めた。
バイクって、楽しいんだなぁ……自分で運転できたらもっと楽しいのかな。ちょっとコワイけど。なんだか、ずっとこうしていたいな……。
身を切るような冷たい風と、温かな写楽の体温を感じながら、僕は目を閉じてそんなことを思っていた。
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