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去り際のキス
そんな僕の想いも空しく電車でふた駅のところにある梅月園にはあっという間に着いてしまった。
「もう着いちゃった……」
写楽が先にバイクから降りて、続いて降りた僕のヘルメットをかぽっと外してくれた。ちょっと蒸れて暑かったから、外した途端ちょっとした解放感だ。
「何だよ、気に入ったのか?またいつでも乗せてやるぞ」
「ほんと?予想以上に楽しかったから嬉しい!」
「お前も取ればいいだろ、バイクの免許くらい」
「うーん……」
バイクの免許取得するのっていくらかかるんだろう……僕は曖昧な返事をした。
「じゃあ、明日海でも行くか?」
「え?」
「海水浴場はまだ人がいっから、遊泳禁止んトコだけど……お前が、行きたいなら」
海……? 写楽と、海?
「行きたい!!」
行きたくないわけない!!それに僕泳げないから、泳ぐのは嫌いだし!日焼けすると赤くなって痛いし……。
「じゃあ、明日の朝……7時、迎えにくっから」
7時!?はやっ!!あ、日差しが強い時間を避けるのかな。それと、人があんまり居ない時間とか……。
「わかった!……あ、あの、ちょっとお茶でも飲んでいかない?梅月先生も、久しぶりに写楽に会いたいと思うし……」
「あー……今日はいいわ、明日早いし、お前も早く寝ろよ」
「は、はい」
残念だな……まあ、お客さんを連れてきたら子どもたちが騒ぐから、しょうがないかな。写楽はお坊ちゃんだし、居心地悪いよね。
「遊」
「え?」
不意に名前を呼ばれて顔をあげたら、頬に軽くキスをされた。
「へ?ちょ……っ」
そのまま写楽の腕が僕の首に回されて、グイッと身体ごと写楽のほうへ引っ張られた。抱きしめられるとまではいかないけど、写楽の吐息が顔にかかる距離まで近付いた。
久しぶりに、かああああっと身体の芯から血液が沸騰してくるような感覚がした。
「今日、ずっと華乃子が一緒にいたから全然お前に触れなかったし……」
自分が唾液を呑み込む音が、物凄く大きく頭に響く。
「お前は、俺だけのペットなんだからな」
「あ、の……」
「それを、忘れんじゃねぇぞ」
写楽、もしかして華乃子ちゃんに嫉妬してる……の?
今はもう7時前だけど、まだ外はやや明るいから遠くに見える通行人にだって見えるかもしれない。もしかしたらご近所さんかもしれないし……。
何よりここは梅月園の前で、中から子どもたちが出てくる可能性だってある。
だけど……今は全部どうでもいい、かも。
僕がそっと目を閉じると、写楽は触れるだけのキスを唇にしてくれた。
そして腕が、唇がゆっくりと離れて行く。
「……明日、寝坊すんなよ」
「5時半に起きる」
「早ぇな」
写楽はくくっと笑うと再びヘルメットを被り、
「じゃあな、遊」
また心臓に響く大きなエンジン音をかけると、風のように去って行った。
「………」
「……おい、遊兄ちゃん」
聞き覚えのありすぎる声にハッとして振り向くと、そこにはサッカーボールを手に持った 明良が立っていた。今、遊びから帰って来たのだろう。
明良は僕に近づいてくると、
「誰だよ、今の奴」
僕を睨みつけながらそう言った。
「え……その、オトモダチ……?」
「遊兄ちゃん、友達とチュ―すんの?」
「………」
ど、どうしよう……やっぱり見られてたんだ。やっぱり『どうでもいい』なんて思わずに
流されるべきじゃなかったかな……。僕からキスして欲しくて、目を閉じたんだけど。
「何が友達だよ。堂々とコイビトって言えばいいじゃん!遊兄ちゃんが毎朝誰かのために弁当作ってるってことくらい、園のみんなが知ってる事実なんだからさ!」
「ええ!?」
「それにしてもすっげぇイケメンだな、遊兄ちゃんの彼氏!こないだ来た怪我してた人はそうでもなかったけど。どうやって捕まえたんだよ?」
「ちょっと、明良?」
これは、気持ち悪がられるパターンじゃないのか?なんでそんな普通に受け入れられてるの?写楽がイケメンだから?
それはあるかもな……。そして弟が失礼なことを言ってごめんなさい、と久志君に心の中で謝った。
「バイクもかっけかったー、今度俺も後ろに乗せてもらえるように頼んでよ!」
「あ、うん、今度ね」
「約束だかんな!じゃないと遊兄ちゃんが園の前でチュ―してたことみんなに言うぞ!」
「こら!」
「へへっ」
年上を脅すとは何事だ、と僕は怒る振りをしたけど、赤くなっていたから迫力は皆無だっただろう。
でも、ありがとう明良。
「……あ」
恋人じゃないよって否定するの、忘れてた。
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