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海の思い出

 遊が早朝から作ってくれた弁当は美味くて、まだほんのりと温かかった。   「おいしい?写楽」 「ああ」 「なんかごめんね、簡単なおかずばっかりだよね」 「別に、ウマイからいんじゃね」  いくらなんでも昨日急に誘ったのに、そんなレベルの高い弁当は求めていない。それに遊の作ったものなどんなおかずだって美味いだろ。 「………」  ざざーん、と波音がする。俺達以外、近くに人間のいない海は静かなのに煩い。  弁当を食い終わり、綺麗に片付けまで済ませた遊は膝を抱えて座り、目を瞑って波の音を聞いていた。その横顔を見ていたら、急に触れたくなった。  そっと手を伸ばしてその黒髪に触れようとした、その時。 「……僕ね、」  遊がそっと目を開けて、言葉を発した。  俺はビクッとして思わず伸ばしかけた手をひっこめたが、遊はそんな俺の行動は全く気に留めずただ、海を見つめていた。 「前に来たとき以来ずっと海に来たかったんだけど、来れなかったんだ」  無表情でまっすぐに海を見つめている遊。何だか懐かしいものを見ているようだった。  なんでかって言うとね、と遊は続ける。 「最後に行ったのは小学校の2年か3年生の頃でね……、どうやって行ったかは覚えてないんだけど、僕は一人で海に行ったんだ」 「……ふーん?」 「何をしに行ったか、分かる?」 「……いや」  遊は、俺の方を見るとニコっと笑った。 「お母さんをね、捜しに行ったの」 「………」  それは、俺が予想していた答えとは違っていた。俺は――不謹慎だけど、遊は一人で海に行って死のうとしたんじゃないか――とか、そんな予想をしていたから。  でもよく考えれば、小学生がわざわざ一人で海に行って自殺なんてするわけないか。なんというかもっと、手短な手段で済まそうとするはず――高いところから飛び降りる、とか。  俺はどんなに辛くても哀しくても自ら死のうと思ったことなんて一度もないから、死にたい奴の気持ちはよく分からないけど。  まあ、話の続きを聞こう。遊は別に死のうとしたわけじゃないんだ。 「ふふっ、僕、本当に馬鹿なんだけどね……僕の本当のお母さんは僕を捨てたでしょ?よそのお母さんはみんな誰かのお母さんで、梅月先生は先生であってお母さんじゃない。でも、僕はその時どうしても『お母さん』が欲しかったんだ。……ほら、『母なる海』とかよく言うじゃない?だから、とりあえずなんでも、僕を受け入れてくれる『母』なら海でもいいかなーって思ったんだよね、馬鹿だよね」  馬鹿みたいな話だって遊は笑うけど、その時の遊の心境を考えたらなんだかとても笑えるような話じゃなかった。 「でも、やっとの思いで来た海は……水は冷たいし、風は強いし、波は激しいしとっても恐かった……」 「……」 「お母さんなんかじゃない。海は海なんだなぁって思った」 「……遊」 「僕って小さい頃から馬鹿でしょ?」  くすくすと笑う遊が、何故か小さな子どもに見えた。寄せては返す波を見て、なすすべもなく立ちつくしている可哀想な子ども。  恐ろしくて、涙も出なくて、ただ途方に暮れているような……  なんだか見ていられなくて、俺は遊を引き寄せるとその小さな頭を抱きしめた。

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