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君が離れたくないと言うので

「僕は、そのままずーっと砂浜にいて……気付いた時には病院に居たんだ」 「え?」  遊も俺に甘えるように、鎖骨辺りに頭を預けてきた。自然にそうしてもらえるのが、俺には嬉しい。  けど、一体どのくらい海に居たって言うんだよ……数時間?それとも、数日? 「大人には誰にも言ってこなかったから、行方不明だってすごく大騒ぎになっててね……それから、二度と海には連れて行ってもらえなくなった。どんなに行きたいって頼んでも、絶対にダメだった。きっと僕が海で死のうとしてたんだって思われたんだろうね」 「………」  それは、無理もないと思う。海に入らなかっただけマシだが、海は満ち引きだってあるし ヘタすれば遊が死のうと思ってなくたって波に飲み込まれて死んでた可能性だってあるんだ。  俺がその時の周りの大人たちでも、絶対にもう二度と海には近づけないだろう。むしろこっちの方がトラウマになる。  何も知らずに連れてきちまったけど……。  考えると、さっきまで波と追いかけっこをしていた遊の無邪気な行動が突然恐ろしいものに思えた。俺はぞくっとした気持ちを誤魔化すように、ある質問をした。 「何がきっかけで、急に母親が恋しくなったんだ?」  俺にも母親はいないけど、ババアの印象が強すぎるから欲しいと思ったことは一度も無い……と、思う。 「それは……」  遊の次の言葉をゆっくりと待つ。遊は小さな口を半開きにしたまま遠い目をしていて、急に何か恐ろしいものを思い出したような顔をした。 「……遊?」 「わすれ、ちゃったよ、そんな昔のこと……」  ――嘘だ。俺にはそれが嘘だとはっきりと分かった。  俺は遊から身体を離すと、向き合ってその細い肩を掴んだ。 「遊、言え。嫌な思い出は誰かに話した方がぜってースッキリするから。俺は、自分の過去をお前に話して良かったと本当に思ってる」 「いやだ……」 「遊、」 「覚えてない……僕は、覚えてないから知らないよ!」 「………」  ガタガタと、細い肩が震えだした。日陰にいるけど、別に寒くはない。むしろ気温は高くて暑いくらいなのに。 「僕は……僕は何も見てないっ」  『見てない』?  遊の顔色と唇はだんだんと蒼くなり、目には涙まで浮かんできた。 「何も知らないっ……!!」  こんな様子、尋常じゃない。 「遊、わかった。分かったから!もう聞かねぇから!」  俺は宥めるように、遊を正面から抱きしめた。遊の身体は、すっかり冷たくなっていた。 「遊……帰ろう」  そう声を掛けたが、遊は俺にすがりついたままフルフルと首を横に振った。 「帰りたく、ない」 「でもお前すげぇ体調悪そうじゃねぇか。こんなとこで休ませられるか。……じゃあ、俺んちに来るか?」  遊はまたフルフルを首を振って拒否を示した。  俺はどうすればいいんだと小さくため息をついて、更に遊を抱きしめた。ずっとここに居たら、土曜だから海を見に来た家族連れやカップルがどんどん来るだろうし、時間が経つにつれて気温は上がるばかりだ。  すると、腕の中の遊が少し身動ぎして言った。 「離れたくないよ……」 「!?」  なんだ、それ……。  体調が悪そうなのに不謹慎だけど、俺はその言葉に内心かなり喜びながらもう一度確認した。 「俺と二人だけでいたい……のか?」  遊はまた、静かに頷いた。園に帰れば梅月先生とガキどもがいる。俺んちに来ても華乃子はまた遊にべったりだろうから、どっちにしろ落ち着けない。 「………」  帰りたくないとか、好きな奴からそんな可愛いこと言われたら叶えてやるしかないだろう。 「……とりあえず立てるか?バイクに乗るぞ」 「どこにいくの?」 「お前は何も心配しなくていいから」  不安そうな顔で俺を見上げた遊の額に軽くキスをして、俺は立ち上がった。

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