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その手を握り締めて
「コラ、犬神!やめなさい!!」
後ろから強い声で制止された。振り向く間もなく、俺の腕は溝内から引き剥がされる。剥がしたのは遊のクラスの担任の佐藤で、その後ろには青い顔をした梅月先生が立っていた。
「まったく、お前らここがどこだか分かってるのか!?いつでもところかまわずケンカしやがって!!それに犬神、お前は梅月と仲が良いはずだろ!?なんでこんなこと!!」
なんでどいつもこいつも俺が遊をどうこうしたって思ってやがるんだ。俺たちはイジメッコとイジメラレッコじゃないのに。
……まあ、違う意味でどうこうはしたけど
「写楽くん……」
激昂している佐藤の後ろで不安げな様子を隠しきれない梅月先生が俺の方へと歩いてきた。
俺は佐藤の腕を振り払って、梅月先生へと向き合った。
「遊……遊は……?」
「梅月先生、あいつ昼休みに思い切り頭打って、思い出したみたいなんです」
「――……!!」
「あのことって?」
事情を知らない佐藤は、首をかしげて呑気に俺の言葉を反復する。梅月先生は両手で自分の口を押さえてその場に崩れ落ちかかった。
「梅月先生!」
寸でのところで俺が支えたから、セーフだったけど。俺はそのまま梅月先生をソファーベンチへと座らせた。
「と、とにかくお前たちは学校に戻りなさい!まだ午後の授業が残ってるんだからな!話は放課後に教頭先生と生活指導の先生も交えてじっくりと聞くから、勝手に家に帰るんじゃないぞ!」
無視された佐藤が自分の威厳を示そうとしているのか、少し怒鳴り気味に言った。
「はーいはい」
溝内は立ち上がり、俺に向かって顎をしゃくった。でも俺は戻る気なんかない。すると、いきなり袖口を引っ張られた。引っ張ったのは梅月先生だった。俺は少し驚いて、梅月先生を見下ろす。先生は今にも泣きだしそうだった。
「お願いよ写楽くん、学校に戻らないで……遊の側にいてあげて……」
「梅月先生、俺は」
――最初から戻る気なんかないですよ。
そう言おうとしたら、
「私、遊に何を言ってあげたらいいのか分からないの……全てを思い出したあの子に会うのが恐いのよ!」
「……梅月先生?」
「あのあと戻ってきた遊は穏やかだったけど、最初の頃のように私に懐くことは無かった……きっと、私はずっと恨まれていたんでしょうね。どうして自分をあの夫婦のもとにやったのか、って……。実の母親だけでなく、私にまで捨てられたんだって、遊はずっと思っていたんでしょうね」
「梅月先生、あいつはそんなこと思ってない」
「いいえ、きっと心の中では思っていたはずよ!だからあの子、卒業後は絶対に私の世話になろうとしないの。それでも私は、あの子を本当の息子のように思っている。けど、会うのが恐いなんて……本当に保護者失格だわ!」
そこまで言って、梅月先生はついに泣きだした。
「………」
俺は梅月先生の隣に座り、黙って傍に居た。俺の服の裾を握っていた手を強く握り返して。 きっと、ずっと一人で思いつめていたんだろう。笑顔で遊や、他のガキどもに接しながら。
遊が聞いたらどう思うだろうか。……俺は、遊は絶対に梅月先生を恨んでなんかいないと思うけど。
それから20分後――。
検査室から遊が寝たまま運ばれて出てきて、そのまま一泊入院することになった。そして梅月先生がどうしても、というので俺も一緒に医者の話を聞いた。
軽い脳震盪は起こしているけど、怪我だとか障害だとかそういうのは無いらしい。
もう遊は帰ってもいいらしいけど、まだ目が覚めてないから一応様子を見るために入院するらしい。
担任の佐藤も一応、一緒に話を聞いていたけど、わけが分からないという顔で俺と梅月先生をずっと怪訝な目で見つめていた。
*
遊は詰所から少し離れた個室に入れられて、今もまだ眠り続けている。
起きて俺がそばにいることが分かったら、さっきのように俺から離れようとするんだろうか。……………
「写楽くん、ごめんなさいね。引き留めたりして……まだ授業が残っているのに」
「あ、そんなの構わないです。俺、学校には教科書すら持って行ってないし」
そう言ったら、佐藤がくわっとした顔をして俺を睨んだ。
「お、お勉強はちゃんとしないとだめよ……って、引き留めた私が言うもんじゃないわね、ごめんなさい」
「別にいいですよ。それに俺、中学卒業した時点で既に高校で習う過程は全部勉強し終わってるから」
「え」
ぽかんと口を開けた梅月先生に対し、俺は苦笑してみせた。
「色々あるんですよ。俺も」
梅月先生はそれだけで何かを察したようで、それ以上その話題で俺を追求するのはやめた。
「あ、あのすみません。梅月さん、少し話を伺ってもよろしいですか?……できれば、廊下で、大人だけで」
「ああ……ハイ。じゃあ写楽くん、遊のこと……」
「ちゃんと見てるんで、大丈夫です」
「……ありがとう」
梅月先生はやっといつもの顔で俺に笑いかけて、佐藤と共に病室を出て行った。俺は遊のそばにパイプ椅子を持っていき、布団に手を突っ込んで遊の手を探しだし、握りしめた。
「……遊……」
目が覚めたらどういう反応をされるのか、梅月先生だけじゃなくて俺だって不安だけど、早く起きてくれよ、と切に願った。
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