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餞別
俺は、震える遊の身体を強く抱きしめた。
「大丈夫だ遊、俺はお前と離れるつもりなんてさらさらねぇから……」
そう耳元で何度も言った。けど遊の震えはちっとも止まらなくて……とりあえず俺は遊を連れて風呂へと向かった。無言で服を脱がせてさっきまでの恰好――全裸にした。
「写楽?」
「しっかりしろ、シャワー浴びるぞ」
「う、うん……でも……」
帰れ、と言われたのが堪えているんだろう。二度と敷居をまたぐな、とか今日中に別れろ、とか。やっぱり聞かすんじゃなかった。本当にロクな話じゃなかった。
俺は無言で遊にシャワーを浴びせる。遊も黙って俺にされるがままになっていた。遊の頭と身体を洗ったあと、交代と言わんばかりに今度は遊が俺の身体を洗ってくれた。
昨日みたいないやらしいプレイじゃなくて、丁寧に……
ただひたすら、丁寧に。
それはなんだか儀式のようで、もう二度と俺に会えなくなるんじゃないかって遊が不安に想っているのが嫌でも伝わってきた。……今にも泣きそうな顔をしていたから。
「遊、俺はおまえを置いて外国に行ったりなんかしねぇ」
ずっと一緒に居るって言っただろ。
俺は何度もそう言って、遊を抱きしめてキスを繰り返した。
「………」
遊が泣いていたかどうかは、シャワーを浴びていたから分からなかった。
身体を拭いて、ドライヤーを掛けて、俺は身支度を始めた。さっきからぼんやりとしている遊も同じように俺の服を着せて、身支度を整えさせた。
「あ、あの……写楽?」
「今から逃げる」
「え!?」
「どうせオヤジのことだ。俺が逃げることだって分かってんだろ。玄関もお前んちも、絶対部下が張ってるに決まってる。三日間だけだ……逃げられるところまで、俺は逃げる」
「でも、逃げても無駄だって言ってたよ!」
「遊」
俺は、遊の言葉を遮って言った。
「俺が聞きたいのは、俺と一緒に来てくれるのか……それだけだ」
もしかしたら三日間だけじゃなくて、一生逃げ続けることになるかもしれない。梅月園にも二度と帰れないし、もう高校にも行けない。梅月先生にも、クソモヒカン達にも会えない。今居る場所には二度と戻れないかもしれない。それでも、遊は俺に付いてきてくれるのか……。
今付いてきてくれなくてもいずれ迎えに来ようとは思っているけど、できたら今『一緒に行く』と心から言ってほしいと願った。
「……ばかな質問、しないで。他にどんな選択肢があるっていうの……?」
それが、遊の答えだった。俺に付いてくる、と潤んだ目がそう言っている。
「……悪ぃな」
俺は一言だけそう謝ると、引出しに入っているはずの現金を取り出そうと手を伸ばした。
「げっ」
「どうしたの?」
「現金がほとんどねぇ」
「えっ」
前に下ろして手元に置いていた現金は、先月遊に給料を払って尽きたことを思い出した。最近はカード払いが便利だからってカードばっかり使ってた……。
「遊、お前今手持ちの金いくらくらいある?」
「三千円くらい……」
俺の財布の中身もそのくらいだった。けどそれだけじゃ3日間逃げ切るには少な過ぎる。多分、俺の口座はとっくに凍結されているだろう。さっきオヤジが遊に給料を払う、と言っていたことでピンときたんだ。
「お前、キャッシュカードは?」
「作ってないし、通帳は園に置いてきてる……印鑑も。キャッシュカード作ったらすぐ下ろしたくなると思って作ってなかったよ」
「だよな」
遊の性格からしてそうだろうと思った。
んじゃ、クソモヒカン達の所でも行って順番にカツアゲしてやろうかな……。いや、そんなカッコ悪ィ真似したくねぇな。そもそも朝からあいつらに会いたくねぇし。
その時だ。部屋が数回ノックされて、返事をする前に開けられた。
「写楽様、失礼します」
「シズネ?」
オヤジの次に俺の部屋を訪れたのはシズネだった。その手には、紫色の巾着袋を持っている。
「これを……」
「何だ?」
巾着を手渡されて、中を見ると現金5万円が入っていた。
「お前、これ……!?」
「少し早いのですが、お年玉です。すみません、はした金で恥ずかしいのですが私の手元にも今はこれだけしかありませんでした」
今までオヤジに禁止されていたのか知らないけど、オヤジ以外の大人に金を貰うのは初めてだった。お年玉を含めて。それにシズネはオヤジの使用人だ。こんな、俺の手助けみたいことをしたらクビになってしまうかもしれないのに。
「……」
オヤジから話を聞いたのだと思うけど、シズネには俺がその後どう出るかもきっと分かっていたんだろう。俺を今まで育ててくれたのはオヤジの金なんかじゃなくて、紛れもなくシズネ、だから……。
「……サンキュー、シズネ」
「どうか、お気を付けて下さいませ」
「おう」
シズネはいつも俺が学校へ行くときみたいに、深々と頭を下げた。いつもと変わらない態度で、それが俺には嬉しかった。
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