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写楽の後悔
「……ちくしょう……」
俺は、何をやってんだ?クソオヤジから逃げて、遊をこんな目に遭わせて、一体何がしたかったんだ?
計画なんか何もない、金もない。途方もなくあるのはくだらない意地とプライドだけ。そんな情けない体たらくで、一体遊をどこに連れていこうとしてたんだ?
絶対に離さないとか、絶対に死なさないとか、一体何を根拠にそう思ってた?
……俺のことはいいんだ。幸いデカくて頑丈な身体に生まれて、この二年間好き放題にやってきたせいで元々頑丈だった身体はますます頑丈になった。
けど、遊は違う。チビで、ひょろくて、か弱くて……殴り合いのケンカなんか生まれて一度もしたこともない普通の奴だ。俺はそんな奴をろくに着込みもさせずにこんな寒空の下連れ出して、しかもバイクで三日間も……。昨日はネカフェなんかに泊まらせて、風邪引いて、熱出すのなんて考えれば当たり前だ。
ただ何もかも捨てて俺に付いてくるって言った遊の言葉に浮かれて、遊の身体のことなんて全然考えてなかった。
――俺は、あの日からいつも逃げてばかりだ。
自分が犬神の家には必要のない人間だと認識させられた時から。生きていることの何もかもがどうでもよくなった。だから、自分が逃げているなんて意識は無かった。
意味のないケンカをして酷い怪我を負って、結果そのまま死んでしまってシズネに悲しい顔をさせたとしても、俺は何一つ後悔なんてしないもんだと思ってた。
でも遊に会って、遊を好きになって俺は変わったんだ。変わることができた、と思った。それでも俺は、逃げ続けることだけはやめられなかった。
自分の将来をマジメに考えたことなんて無い。ただ遊と一緒に居れればいいって、漠然とそれだけの未来を夢見てそうなるように願った。どうすればその願いが叶うのかなんて考えなかった。今の生活の延長上が未来なんだと思ってた。
……だからクソオヤジから何と言われたって、逃げちまえばなんとかなると思った。
(……本当に俺は、馬鹿野郎だ……)
俺が本当にあの家に必要のない人間だったら、オヤジはとうの昔に俺をあの家から追い出していただろう。もしも俺がオヤジだったら、俺みたいな不良債権は要らないから。
俺がどれだけ好き勝手に生きていても捨てられない自信があったのは、オヤジの『すまない、写楽』という謝罪の言葉と、今までの血の滲むような努力を無に帰せられたっていう逆恨みの大義名分があったからだ。
そして、実の息子だからっていう事実に甘えていたから。
それで、何でも俺の好きにさせてくれてるもんだと思ってた。毎月義務的に振り込まれる金も、その為だと思ってた。
でも、オヤジの狙いはきっとそこだったんだろう。
俺はあの家から逃げる方法を、オヤジの玩具として扱われない方法を、考える時間は山のようにあったはずなのに……。
ただただ、楽な方へと逃げ続けていたんだ。
その結果が、今なんだ……。
「遊、ごめんな……」
俺は、意識のないぐにゃりとした遊の身体を抱きしめた。その手はもう俺を抱きしめ返してくれることは無く、力なくパタリと腐った畳の上へと落ちた。意識は無いけど、相変わらず熱は高く息も荒い。
「マジでごめん……っ」
俺が馬鹿だったせいで、俺が何も考えなかったせいで、こんな目に遭わせて……。
金がなければ何一つできない俺が、オヤジから逃げるしか能のない俺が、どうやってこれから先お前を守るつもりだったんだろう。
今回は逃げられたとしても、この次、ずっと先の未来まで逃げ続けることなんて、出来ないに決まっているのに。
どうしたら『ずっとそばにいる』、なんて曖昧で希望的観測な言葉を保障してあげることができただろう。……きっと、お前はずっと不安だったんだな。
それは俺も同じだけど、現実を知っている分遊の方が不安も大きかったに違いない。
それにちっとも気付いてやれなくて、『大丈夫だよ』って言うお前の笑顔に甘えてばっかりで、本当にごめん……。
「ちくしょう!どうすりゃいいんだよ……っ」
俺は本当にどうしようもなくて、どうしたらいいのか分からなくて、何もできない自分が悔しくてぶわっと涙が溢れた。泣いてもどうにもならないとさっきまで思っていたはずなのに、本当にどうしようもないと人間は涙が出てくるんだろうか。
「………」
……このまま遊を置いて、人を探しに行くべきなのか。せめて水だけでも探しに行くべきなのか。でも、朝までに人や水が見つかる保証は無い。携帯はおろか地図さえも手元にないのに、土地勘もない山の中で都合よく川に辿り行ける可能性はゼロに近い。自分が迷う。
それに、それまで遊を一人にしておくわけにはいかない。こんな状態の遊を一人にしておけるわけ……ない。俺がいない間になにかあったら……。
でも遊を連れて外に出るわけにもいかない。外は風が強くて、雪もまだ止んでないんだ。一緒に外に出たところで、きっと共倒れになるだけだろう。
八方塞がりというのは、まさにこういうことだ。
俺は、絶望した。
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