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第2話

 胡散臭い笑顔がどうも嫌いだ。  兄の恭司から紹介された家村と言う男は、出会った時から物腰の柔らかい男だった。俺よりも三つ年下の二十五歳。同じ位の身長に、体躯。切れ長の奥二重は一見鋭い目付きに見えるものの、神経質そうな眼鏡のおかげで幾分か誤魔化されている。俺とは違う顔の造形。俺はどちらかといえばくっきり二重に少し垂れ目なので、見た目は優男という感じ……。出来れば家村みたいな切れ長の目になりたかったが、遺伝とは恐ろしいものでこの垂れ目は兄妹全員がそうだ。鼻筋も俺のは鷲鼻で唇も普通よりはポテッとしている。対して奴の鼻筋は綺麗にシュッと通っており、唇もどちらかといえば薄め。見た感じはきつめの美人と言ったところだ。ハイブランド物では無いスーツも、スラッとした奴が着ると見え方が違うんだなと思える程には清潔に着こなしているし、喋り方もゆっくりと柔らかく喋るので、俺以外の社員には好評だ。  以前俺のボディーガードをしていた奴は、つい先日兄が勝手に解雇している。その原因が、何度かプレイで手合わせした女のSubが遊びじゃ無く俺に本気になってしまいストーカーになってしまった事だった。  俺にしてみれば女のSubはプレイの道具であり、決して本気にはならない人種。だが、相手からしてみればその辺にいるDomよりもフェロモンが強い俺の支配下は心地良かったのだろう。会社まで押しかけバッグに忍ばせたナイフで俺を切りつけようと飛びかかってきた。一歩出足が遅かった為に頭と顔を防御した腕を怪我してしまうという事があったばかりだ。その経緯で兄はそのボディーガードを即刻クビにし、次の人選は自分がするからと譲らなかった。  昔から護衛でボディーガードはいた。幼い頃は誘拐目的を危惧して付いていたが、成長するにつれそれは窮屈と言う二文字の何ものでも無い感が否めない。  俺としてはDomの自分が知らないDomに守ってもらうという事に多少なりとも違和感があり、これを機に止めて欲しかったのが本音だが、如何せん問題を起こしたばかりの俺の言葉は兄には届かなかった。  で、新しく着任してきたのがこの家村と言うワケだ。兄や周りからの評価は高く、一瞬きつそうな感じの顔をしているが喋り易くて腰が低い。物腰の柔らかい雰囲気に笑顔が素敵なんて言われてるらしいが、俺に笑いかけてくる目が、俺は気に入らない。  Dom特有の相手を支配下に置きたいという目が。  基本的にDomを警護する人間はDomだと相場が決まっている。それは相対する人間もDomが多いからだ。フェロモンやGlareというDom特有の圧がより強い方が相手のDomを支配下に置きやすく、無駄な争いになる事が少ない。一応、何かしら格闘技をしている奴や有段者を採用する事が多いが、それらをしていなくても先程言ったみたいにフェロモンやGlareが強いDomも優先的に採用される。  両親を筆頭に兄の恭司や俺、妹の護衛をしているDomは、採用されれば二週間専門の施設に行ってミッチリ訓練や所作を学ぶ。そうして晴れて護衛の仕事につけるのだが、その時に雇い主に対してフェロモンやglareを出さないようにと習うはずだ。たが、家村は隠しいるつもりでも俺は敏感に奴のそれらを感じ取ってしまう。  その点では前の奴の方がまだ扱いやすかった。それは、俺の方がフェロモンやGlareが強かったから……。今回のこの男は兄が見つけて来ただけの事はあるのか、当然俺よりもフェロモンやGlareが強く、それも俺からしてみれば気に入らない一つだ。 「専務、到着致しました」  落ち着きのある低めの音声で車はゆっくり停車すると、運転席からそう声がかかり俺は見ていた書類から視線を上げる。バックミラー越しに目が合った家村はニコリと俺に微笑み掛けるが、俺はフイと視線を外して無言のままでいると、奴は車から降りて俺が座っている後部座席のドアを開ける。 「どうぞ」  開いたドアを持ち上部に手を添えて俺の頭が天井に打つからないようにし、俺が車から出ると静かに車のドアを閉め、後ろを歩いて付いて来る。  俺は見ていた書類を、俺と同じように車から出て隣を歩いている秘書に手渡しながら 「次の予定は?」  と、質問すれば 「十四時から東堂建設の方と打ち合わせです」  スラスラと次の予定を言ってくる秘書に一度チラリと目配せして 「それまで誰も部屋に通すな。東堂建設の専務が来たら知らせろ」  言いながら俺は目の前にそびえ立つ自社ビルへと入って行く。  真っ直ぐ自分の役員室に入り正面奥にある大きな机と椅子へは座らず、手前にある応接セットのソファーにドカリと腰を下ろし、背もたれに首を預け  はぁ~……。  大きな溜め息を一つ吐き出し目を閉じる。  この世界には男女性の他にダイナミクスと言われる特殊な性が存在する。種類としてDom、Sub、Switchの三種類で、平たく言ってしまえばDomはSubを自分の支配下に置き、虐めたい、守りたい、信頼が欲しい等の独特の感情を持つ。SubもまたDomに虐められたい、構って欲しい、褒めて欲しい。等の感情を持ち、傍から見ればSMのような関係を築く性だ。そして、Switchはそのどちらの性も合わせ持っている稀な性になる。  人口比率としては少なく、世間一般的には出会う事も難しいとされているが、俺がいるところではそう難しくも無い。それは俺の置かれている環境が関係する。  橘と言う名前は、Dom、Subのダイナミクス性界隈では有名だ。  Dom至上主義の家系。代々Dom同士の婚姻でDomしか生まれないようにしてきた家だ。家族は全員がDom。稀にノーマルやSubが生まれる事もあったらしいが、そうなれば分家の家に養子に出されていたらしい。  生まれ落ちた時からDomとはこう有るべきだと教育され、人の上に立つのが当たり前。いかに周りの人間を自分の支配下に置き、駒のように動かし利益を生むかを考えて行動する事を良しとしている。  物心がつく頃には、金で雇われたSubが周りにいる環境に置かれ、より実務的に人の上に立つ事を教わる。それを俺や弟妹に教えていたのが兄の恭司だ。  仕事で忙しい両親に変わり、俺達の面倒をみてきた兄。俺にとっては両親よりも親らしい存在。  兄は家族や周りのDomよりもフェロモンやGlareが強い。  俺はゴソッとジャケットの内ポケットを弄り錠剤を取り出すと、テーブルの上にある水の入ったガラス瓶とそれに被せてあるグラスを取り錠剤を嚥下する。 「……、疲れた……」  ボソリと呟いた台詞は、誰に聞かれる事も無く勝手に空中分解していく。  ブブッ。  錠剤と一緒に入れていたスマホがラインを告げてバイブする。俺はスマホを取り出し画面を確認すると、送り主は美鈴からだ。  瀬尾美鈴、二十八歳のDomで俺の幼馴染み。世間から言わせれば俺の妻。 『来週私の両親が会いたいそうです。本宅へお帰りになりますよう宜しくお願い致します』  ラインの内容に『了解』とだけ打ち返して、また一つ溜め息。  美鈴と結婚して三年。本当は生涯誰とも結婚する気が無かった俺が、三年前兄の恭司と美鈴に結婚話が持ち上がり、成り行きでこうなってしまった。  それは、美鈴が結婚するなら恭司よりも俺と結婚すると聞かなかったからだ。その話を美鈴から聞いた時、まぁ、そうなるだろうな……と納得した自分がいる。  俺と美鈴は同い年の幼馴染み。そしてお互いに性嗜好が一致している。それは、恋愛対象が同性にしか興味を持てないという事だ。中学の時から互いにその事は知っていたし、高校からは互いの恋愛遍歴も把握する程度には親しい。 『私、もし結婚するなら将臣とします。そうなればお互いに楽ですし、上手くいくと思いません?』  高校卒業間近の時、美鈴から言われたその一言は、互いにとってメリットしか無い響きに聞こえた。小さい時から美鈴は俺の家の誰かと結婚させると親同士で約束が交わされていて、美鈴は俺の性嗜好を知った中学の時から俺と結婚すると決めていたらしい。  美鈴は兄との縁談を蹴って俺と結婚する事になったが、兄は兄ですぐにどこぞの令嬢と婚約し俺と美鈴がそうなる前に式を上げ結婚した。そうして俺達は兄の数ヶ月後に挙式を上げている。  美鈴は大学在学中に生涯のパートナーを見付け、今ではその彼女とタワマンで暮らしている。彼女は勿論Sub。一般家庭に生まれ極々普通の女にしか見えないが、美鈴にとってはとても魅力的に映るらしい。たまに二人一緒のところを目にする機会があるが、互いに信頼し合えるパートナーだと雰囲気が物語っている。俺が望んでも手に出来ないモノを手にして幸せそうな二人を見れば、羨ましいという言葉が素直に出てくる位に。  一応、都内に一軒家も建てているが、お互いにタワマンで暮らしている。今回みたいにどちらかの親族が訪ねて来る時に本宅の一軒家に帰って仮面夫婦を演じるのだ。  後は会社のパーティーがある時等、夫婦で出席しないといけない集りには、仲の良い夫婦を演じる。  ……………。演じるは大袈裟か。美鈴と俺は元々仲は良い方だ。でなければこんな嘘みたいな夫婦関係を築く事も出来なかっただろう。  世間一般的には歪な関係かもしれないが、俺達にとってはとても居心地の良い関係だ。夫婦であるべき時にはそうして、それ以外は互いに全く干渉し合わない。  子供の事も互いに望んではいない為、何の問題も無い。  コンコンコンコン。  突然扉がノックされ俺は音のした方へと顔を向けると、ソファーから立ち上がり 「どうぞ」  一声掛けると秘書が扉を開け 「専務、お時間です」 「東堂建設の方は?」 「来られてます」 「通してくれ」  その一言に秘書は一度お辞儀して部屋から出て行く。  俺はジャケットの襟元をクイッと下に引っ張り、くつろげていたボタンを留めて一歩を踏み出す。

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