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第4話

「まずはこちらに来なさい。Come」  兄のコマンド、そして『Switch』と言われた事により普段感じる事の無いDomのフェロモンに支配され、俺はゆっくりと兄の方へと近付いて行く。 「Goodboy。フ……ン、パンツが皺になるな。Strip」  フラリと近付いた俺を褒めて、次に『脱げ』のコマンド。  俺は言われた通りに着ているものを自分の肌から離していく。そうしてボクサーパンツだけ残し、全て脱ぎ捨てると 「良い子だ将臣。では、Kneelだ」  一人がけのカウチソファーにゆったりと座った兄の足元に、俺は膝を着いて『お座り』する。  兄のコマンドに対して素直に言う事を聞いた俺の顎をクイと掴んで自分の方へと顔を向かせれば、満足そうな笑みで俺を見下ろしている兄の表情がある。そのまま顎下を指先で撫でられながら 「Goodboy」  と褒められ、俺は視線の端にある兄の腕に首を傾けて頬を擦り付ける。  ……そう、俺はSwitchだ。  SwitchとはDomにもSubにもなれるダイナミクスの中でも稀な部類に入る性だ。ダイナミクスってだけでも数は少ないのだが、Switchになればそれよりも更に数が少なくなる。俺も自分以外のSwitchとは出会った事が無い。  自分がそうだと判ったのは中学の時。家から雇われている女のSubを相手にプレイしてもスッキリせず苛々が募る事が多くなった時期がある。当初は精通を終えホルモンの変化により誰かを組み敷きたい欲求がそうさせているのだと思っていた俺は、その日あてがわれていた女のSubを支配下に置き、自分の好きなように弄んだ。だが、自分の屹立を女の中へ入れた途端プレイで興奮して勃ち上がったモノは勢いを無くし、それと同時に違和感を覚えてそのSubを放ったらかして部屋を出たのを覚えている。  それ以来プレイの延長線上で抱く事にしているのは男のSubだ。  当初感じた違和感は男のSubを組み敷いた事で消え、それと同時に自分の性的嗜好を認識する事となる。一時は男のSubを抱く事で苛々も緩和されていたが、ある日体調を崩した。頭痛が酷く、熱があるのに寒気が止まらない。風邪をひいたんだと思いその日は学校も休んで家で大人しくしていた。  自室で寝ていた俺は酷く喉が渇いた感覚に目を覚まし、ベッドの側にあるチェストへと視線を向けたが水が入っていた容器は既に何も無く、熱っぽい溜め息を吐き出し起き上がるとキッチンに向かった。  そこまで行けばお手伝いの人や、料理人のスタッフ達がいると知っていたからだ。裸足のままで長い廊下を歩いていると、階段の奥に兄の部屋がある。五つ年上の兄は大学受験の為、高校の授業が終わっても予備校に行っているはずなのだが部屋の中から声が聞こえ、俺は嬉しくて挨拶だけでもと思い兄の部屋まで行ってしまった。  スリッパを履かずに裸足だった為廊下を歩く足音は無音で……、俺が近付いていると気付かなかった兄の部屋のドアは声が聞こえる程度に少しだけ開いていた。  部屋の中では兄が女のSubに向けてコマンドを言っているところで……。 『Kneel』  -----ドクンッ。  俺に言っているワケでは無いのに、兄のコマンドに体の力は抜け俺はその場に崩れ落ちる。その時に壁に体が当たりガタッと音を立ててしまった。 『誰だッ?』  物音でプレイを中断した少し不機嫌そうな兄の声に、ビクリと肩が揺れる。早く立ち上がってその場から去りたいのに、体は自分の言う事を聞かずにその場にしゃがみ込んだまま。  キィ……。  かすかに開いていたドアが更に開いて、俺の視線の先には兄の足が映る。 『将臣……?』  戸惑うような兄の声に名前を呼ばれてゆっくりと顔を上げれば、俺を見下ろしているDomの表情で兄がそこにいた。 『兄、さ……ッ』  まさか目の前でプレイしている女のSubと同じ姿勢で実の弟がいるとは思っていなかった兄は、少し動揺しながらも俺がお座りの格好でいる事に酷く興奮している様子で……。 『何……してる?』 『わ、かんな……』  自分でも何故お座りをしているのか解らず絞り出した声は掠れているが、兄から言われたコマンドに従っている体は喜びに打ち震え、安心感さえも感じるようで……。その感覚に自分が一番驚き、戸惑い、そして早く褒めて欲しいという欲が体の奥から湧き上がっていて……。  その後の兄の行動は早かった。プレイしていたSubを早々に帰し、両親には内緒でダイナミクス性専門の医療機関を一緒に受診。そこで俺はSwitchだと診断された。  Dom至上主義の家系。Subやノーマルがもし生まれれば否応無しに分家へと養子に出される。その事が脳裏を過ぎり、Switchだと診断された俺はサァと体中から血の気が引いた。だが 『二人だけの秘密だ。良いね?』  そうして俺と兄だけの秘密ができ、こうして共有している。  SwitchはDomからSubに切り替わる時に対象のDom相手から『Switch』と言われないと切り替えが出来ない。一番最初の、俺に向けられていない兄のコマンドに反応したのは、サブドロップしかけた体と精神が早く楽になりたいと防衛本能から反応したのだろうと医者から言われている。  Switchだと判明してから俺はSub用の抑制剤も飲むようになった。普段はDomとして生活しているが、抑制剤を飲まなければ体調や精神面でSub側に引きずられる事が多くなるし、万が一Subのフェロモンが出て問題になるとまずいからだ。  それにもう一つ、Domのフェロモンがそこら辺の奴等に比べて強い俺は自分よりも強いDomにしかSubの本能が上手く反応しない。だからこうやって兄とプレイするしかSub性を安定する事ができない。兄とのプレイは義務的に淡々と行われる。コマンドに対して従い、上手く出来れば褒められる。それによって心が満たされ安定するのだが、昔はそれにプラスして褒められる喜びに体が反応していた。何度兄の前で痴態を見られた事か……。思い出すだけで死にたくなるが、兄は本能なのだから。と淡々とプレイをしてくれていた。今では兄の前で痴態を晒す事も無くなり、大分コントロール出来るようになったと思う。  兄とのプレイで俺はサブスペースに入った事は無い。  ………そうだな兄との行為は言うなれば安定剤とでも言えば良いのだろうか? 薬を飲んで状態が安定するに留まる。それ以上もそれ以下も無い。だが、俺にとってはそれが一番良い。  なまじDom性も併せ持つ俺にとっては、そのDomという性が一番邪魔をする。そしてSub性という弱さを兄の前で完全に曝け出す事も出来ない。それは、全てを兄に依存してしまえば後々互いにとって悪い結末しか迎えない事を理解しているからだ。  兄は結婚してから再三俺に他のDomとのプレイを提案してくるようになった。兄の知り合いで口が硬く、信用出来る俺よりもDom性が強い奴を……。素直にその条件を飲めば、誰に迷惑をかける事無く丸く収まるのだろうけど、俺の気持ちやプライドが他のDomにコマンドを言わせるって事に拒否反応が出てくる。それに、DomとSubにはある程度の信頼関係が無ければプレイ自体も上手くいかない事が多い。  まぁ、俺達が日々欲を発散させる為に金で買っているプロのSub達は、そうなるようにしっかりと訓練されている上質な奴等だ。だが、プロでは無い素人とのプレイは信頼関係が重要になってくる。相手にどこまで心が開けて、受け止める事が出来るのか……。  俺が一番苦手とする事を、兄以外に出来るとは考え辛い。それにプロのDomでも兄以上に強い奴を俺は知らない……。 「Switch」  俺の頭を撫でながら兄が一言言葉を発する。俺はそう言われてSubからDomへと切り替わる感覚に少し重くなった瞼を閉じた。 「今日はあまり集中出来なかった?」  脱いだ服を着ている俺の背中に、少し心配そうな兄の声が飛んでくる。 「そう……ですか?」  ギクリとしたが、そんな事はおくびにも表情には出さずクルリと兄の方を向くと 「体調は? 気分は良くなったかい?」  と、ゆったりと腰掛けて遊ばせている脚を組直している兄に 「お陰様で、いつも通り良くなってます」 「そうか……」  俺の台詞に安心したのか、一度背もたれに背中を付けてフゥ。と短く溜め息を吐き出すと 「ところで東堂建設の話はどうなった?」  途端に経営者の顔付きで仕事の話を振られ、俺は服を整え兄の近くのソファーへ腰掛け 「兄さんの言われたように話は進めてますが、コスト面で少し渋られましたね」 「ハハッ、だろうね。前回に比べて削れるところは削ったから驚いてたんじゃ無いか?」 「まぁ……。けど呑んでもらわなきゃ他を探すまでですし」 「納期もキッチリするように頼めたか?」 「問題無く」 「そうか。もし、面倒臭い事になったら逐一知らせてくれ」 「解りました」  何度か一緒に仕事をしている相手だが、すんなりと事を運べた記憶はあまり無い。安いコストで最上のモノを……と望んでも、相手も食っていかなきゃならないのだ。度々ぶつかる事も少なくない。兄に言えばスムーズに事が収まるなんてのは百も承知だ。だが、そうすれば俺の手腕が疑問視される。出来るだけ兄のところまではいかないようにしなければ。 「ところで、まだ家村君の事は認めて無いらしいね?」  フッと少し面白そうに喋り始めた兄の顔を見詰めて 「………必要ですか?」  思った事を口にした俺に、兄は一瞬キョトンとした顔で俺を見詰め返したが次いではすぐに肩を竦めて 「一応、命を預かって貰ってるからね。大事だと思うよ? 信頼関係は……」 「……互いに自分の仕事をするだけだと思うんですがね……」 「自分で選べなかった事を怒ってるのかい?」 「そんな事はッ……」  無い。とは果たして言い切れるだろうか?   押し黙った俺に再度兄は楽しそうに鼻から息を短く出すと 「お前は自分よりDomのフェロモンが弱い奴を選ぶだろ? それでは意味が無い事はもう理解出来ているだろう?」  前回の事を引き合いに出され、正論過ぎて俯いて言葉を無くしている俺に 「時には誰かに委ねる事も大切だよ。将臣」  思いの外優しい声音で言われ、再び兄の方へ視線を泳がすと、少し寂しそうな顔付きで微笑んでいる表情とぶつかる。  兄がそんな顔をする時は決まって俺の双子の弟、英臣の事を思い出している時だと理解している。英臣が家を出て一番寂しそうだったのが兄だからだ。まぁ、仕事だ飼っているSubの世話だと忙しい両親に変わって俺達弟妹の面倒を見てきたのは兄だったのだから、その感情は理解できる。  二卵性双生児で生まれた俺と英臣は双子だがそこまでソックリなワケじゃ無い。だが兄だけは昔から俺達が良く似ていると言っていた。時たま兄は俺を見ながらもその後ろで英臣を見ている時がある。俺達は幼い時は一方が泣けば離れていた一方も泣くみたいな不思議な事はままあったらしいが、大きくなるにつれそんな不思議な事も無くなった。考え方も、好みも、癖も全く違う俺達は、互いが大学生の時に英臣が起業し家を出た時から疎遠だ。  英臣はDom至上主義の家の考え方に反発。両親が決めた結婚相手のDomとは絶対に結婚しないと言い切り、自分で好きになったDomでは無くSubやノーマルと恋愛すると言って家を出た。今まで散々家が用意したSubを使ってプレイして楽しんでいたり、多頭飼育までしていたのに、大学に入り長谷川と言う奴と出会ってからより考え方が変わったのだ。  呼び付けていたSubを呼び付けなくなり、飼育していたSubをあっさりと手放してSubやノーマルの奴等に対しても同等の態度で接するようになった。そんな英臣に両親は早々に見切りを付けて無い者としているが、兄だけは未だに英臣に対して連絡を取っている。それは弟に対して何も出来なかった自分を悔やんでしているかどうなのかは解らないが、それでも何かしてやりたいと思っての事なのだろう。だが、それを俺に知られれば俺が不機嫌になる事を知っているから隠しているつもりのようだが、俺は知っている。出て行った英臣の近況が知りたくてわざわざSubを英臣の所まで様子を見に行かせている事を。  ……それに既にアイツはもう心に決めた自分のSubを手に入れていたようだった。以前新規事業の件で英臣と家が揉めた事があり、文句を言いに英臣のマンションまで行った事がある。その時に俺がアイツのSubにコマンドを発した時のアイツの顔……。大切なものを奪われたく無い。傷付ける奴は許さない。といった表情で……。実家にいた時には常に無表情で誰にも感情を読ませなかったアイツの激情を目の当たりにして俺は驚き、そのまま帰って来た記憶がある。  変わったアイツを見て美鈴とパートナーの幸せそうな姿が過ぎり、英臣と相手に対しても自分は羨ましいと思うのかと……。だが自分自身は今更生き方を変える事なんて出来ないと、自虐的に笑ってそれでおしまいにした。 「さぁ、そろそろ帰りなさい。明日の業務に響くだろう?」  黙ったままの俺に兄はそう言ってニコリと笑い、座っているカウチソファーから立ち上がる。俺もそれにつられるように立ち上がると、ソファーへ投げていたジャケットを持ちドアの方へと歩き出した。 「お休み将臣。ゆっくり寝なさい」 「はい、お休みなさい」  ドアまで見送りに来た兄を一度振り返り、いつものように挨拶を交わして俺は部屋を後にし、ホテルの車寄せへ向かうと出てすぐ出入り口の正面に見慣れた黒塗りの車があり、一歩近付くと家村が運転席から出て来て後部座席のドアを開ける。 「お帰りなさいませ」 「ン……」  後部座席へと乗り込むと静かにドアが閉められ、数秒後にゆっくりと車が進み出す。 「……あの、もしかして近くにSubがいましたか?」  突然の家村の台詞に、俺はピクリと指先が跳ねバックミラーへ視線を移すと、奴もまた俺を鏡越しに見ていて……。 「イヤ……居なかったが?」 「そう……ですか」  たったそれだけの会話のやり取りだが、俺はドキドキと不整脈になるのでは? と思う程心拍数が上がり動揺している。今まで家村からこういう事を聞かれた事は無い。兄にはちゃんと『Switch』と言ってもらいSubからDomへと切り替わっているはずだ。ならば……何故?  集中出来なかった自分と何か関係があるのだろうか?  -------あ、プレイが終わって俺は抑制剤を飲んだか?  プレイが終わってからの自分の行動を思い返し、抑制剤を飲んでいない事実を思い出した俺は心の中で舌打ちしながら不自然にならないようにフイと視線を外し、いつものように窓へと顔を向ける。 「……………。誰かに委ねる……か」  兄に言われた台詞を思い出し呟くが、それは誰にも知られる事なく、車の音に掻き消される。

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