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第6話

『誰かに委ねる事も大切だよ』  心地良い微睡みの中で、兄の言葉が俺に語りかける。  生まれてこの方兄以外に自分の事を委ねた事は無い。なので言葉の意味は理解出来るが、具体的にどうすれば良いのかまでは解らない。しかも血縁関係にある兄では無く、全くの他人に委ねる事なんて果たして俺に出来るのか甚だ疑問だ。 「……ぅ、ン……」  先程まで指先が震えるほど冷たかった感覚が今は全く無く、逆に心地良い温もりに体中がリラックスし弛緩している。  こんな感覚はいつ振りだろうか?  ……………、先程まで……?  何か忘れている事を思い出そうと、微睡んでいた脳が徐々に覚醒してくる。そうして先程まで? と覚えた違和感を辿れば、バチリと両目を開けた俺の目と鼻の先に見慣れた顔が横たわっている。 「ッ……!」  予想していなかった事態に俺は息を呑んで、状況を把握しようとムクリと起き上がった。  自宅では無い。……ホテルでも、無い。  見渡した室内は見覚えの無いもので、だがキチンと整頓され清潔感があるその空間は隣で寝ている男の部屋だとすぐに解る。 「……………は?」  何故自分が家村の自宅にいるのか解らず、無意識に出た疑問に答える男は寝ていて、答えを聞き出す事は出来ない。  ハッとして視線を落とし自分の姿を見れば、スーツでは無くTシャツとスウェットのパンツを履いている。そして、あれだけ気分の悪かった体調が嘘のように良くなっていると解る。  ……………、どういう事だ?  車に乗ったところまでは記憶がある。家村の機転であの会食の場から解放された事も……。だが、その後の事が思い出せずに俺は眉間に皺を寄せてしまう。  グイッ。 「……ぁ?」  突然、隣から手首を掴まれ引き寄せられた俺は、バランスを崩して再び上体をベッドヘ沈めると、すかさず伸びてきた腕に抱き締められ 「もぅ、少し………」  「寝て……」と耳元で囁かれ、その甘さを含んだ声音にブワッと顔が赤くなる感覚に戸惑う。  コイツ……、誰と間違えて……!  グルッ……、グキュゥ~~……。  ギュッと抱き締められた直後に、俺の腹の虫が鳴って沈黙が流れ 「プッ……クククッ」  堪らずといった感じで家村の体が震え、吹き出した声が漏れ聞こえて俺は抱き締められた腕から逃れようとしたが、更にキツく腕に力が入って逃れられない。 「オ……」 「飯でも食べます?」  オイッ! と言う間も無く家村が俺にそう尋ねてくると、閉じていた目を開き俺を見詰めてくる。近い距離で見詰められた俺は、可笑しそうに笑って口角を上げている奴の目の奥が、俺を逃さない。と言っているようでゾワリとみぞおち辺りが浮き上がる感じに目が逸らせなくなる。だが、それも一瞬後には柔らかく緩められ、キツく抱き締められていた腕が離れて 「好き嫌いあります?」 「イヤ……」 「すぐ作りますんで……。ユックリおいで」  ベッドから出る際に家村は指先で俺の頬を撫で、ドアへと歩きながら伸びをして部屋を出て行く。  ………………ッ、はぁ!?  俺は撫でられた頬に手の平をパチンとあて、奴が出て行ったドアを体を起こして凝視しする。  何だよ……あの馴れ馴れしい態度は……。何が、「ユックリおいで」だ。俺は上司だぞッ!?  家村の態度に動揺しながらも、部屋の中は薄暗い。キョロキョロと辺りを見渡しベッド横のチェストにライトのリモコンを見付けピッと部屋を明るくする。見えにくかった部屋が明るくなりリモコンを再びチェストへ置くと置き時計が目に入り、時間を確認すれば明け方の五時過ぎ。  確か会食が始まったのが八時頃からで、家村がセットしたスマホのアラームが鳴ったのが一時間半後。十時頃には自分の記憶が無く、約七時間後に目を覚ましたのか……。 「寝れたって事か……?」  キツイSub用の抑制剤は副作用で睡眠障害がある。割と最近は多く服用していた為によく寝れて三時間程。気を失っていたとしても、そのままこれだけ寝ていられるのは驚きだ。 「何、で……」  呟いた俺は、ハタと停止する。  会食でギリギリの精神状態だった俺は、もう少しでサブドロップしかけていた。抑制剤を飲む余裕も無いまま気を失って……。けど、今はすこぶる体調も良くなっている。 「まさか……」  いきついた答えに全身の毛穴がブワリと開いて、俺は誰もいなくなった隣に視線を移す。  俺の横にいたのはアイツだ。そしてアイツは兄と同じ位のDomの強さがある。そんな奴に抱き締められて寝ていたという事は、俺は……アイツのDom性に反応して、安心したという事か? なによりアイツに俺がSwitchだとバレた……?  すぅっと血の気が引いていく感覚に、俺は暫く動けなくなる。  ………ッ、どう、すれば……?  コンコンコン。ガチャ。 「そろそろ出来るぞ? 来ないのか?」  部屋から出て来ない俺を心配してなのか家村がドアを開けて顔を覗かせる。俺は、ビクリッと肩を揺らしてゆっくりとそちらの方へ視線を泳がし奴を見詰めれば、どうしたのか? と少し首を傾け俺を見ている。 「イヤ……行く」  ギシリとベッドを鳴らし、俺は床に足を着けて立ち上がるとそのままドアへと歩を進めて行く。そんな俺に家村は 「コーヒーで良いよな?」  なんて言いながらドアから離れ、リビングの方へと歩いて行くので、俺も奴の後を追って歩く。部屋から出て右側にリビングへと続くドアを入ると俺と似たような、男の一人暮らしって感じの物が無い部屋が広がっている。 「好きなトコ座ってて」  部屋に入ってすぐ家村は左側へと体を向けるが、そこは対面式のキッチンになっていてカウンターには皿が置かれ、その上にホットサンドとサラダが盛り付けられており、脇に置いてあるマグからは湯気が立ち上っていて、匂いからしてスープなのだと解る。  俺は促されるままに奥のソファーへと近付いて座ると、目の前のローテーブルに皿とマグが置かれる。 「じゃ、食べよう」  家村は自分の分もテーブルに置くと、ソファーでは無く隣のラグが敷いてある床に座り、両手を合わせて食べ始めた。その行動が意外で俺は家村を凝視する。  普通Domならば自分よりも弱い奴の下には座らない。俺の隣に座れるスペースは十分あるはずなのに、迷わず床に座った。  ……………、仕事の延長だと思ってるって事か? 「食べないのか? あんなに腹鳴らしといて」  微かに笑いながら言う家村の言葉に、俺はジトリと奴を睨み付けながら半分に切られたホットサンドを掴み口に運ぶ。  サクッと心地良い歯触りの次は、バターの風味が口に広がるとすぐさま具材の旨味が押し寄せてくる。  会食で食べたものはほとんど吐いてしまったから、空きっ腹にこの旨さは……。  ガツガツとまではいかないが無言で食べる俺を見詰めながら、家村が嬉しそうに目を細めて 「美味いか?」  と、尋ねるものだから俺は瞬間ピタリと動きを止め、気不味くて何も言えないままかたわらのマグを手に持ちスープを啜る。家村はそんな俺を見ながらハハッ。と軽く笑うと、自分も食べ始めた。  朝食には早過ぎるが互いに食べ終わり、家村はもう一度食後にコーヒーを淹れてくれているところだ。俺は点いているテレビから視線を逸して部屋の中を見渡す。寝室同様物は必用最低限しか置いておらずキッチリと整頓されている為広く見える。テレビ台の横に小さいながらも棚があって、そこにはズラリと小説があり何を見ているのかと近付くと、写真立てが二つ倒して置いてあった。  見られたくなくてか、本人が見たくないのか解らないが、俺はその二つをカタリと立たせれば何の繋がりがあるのか、全く違った家族写真がそこにはある。  ン? イヤ……、両方に同じ男の人が写っている……。眼鏡を掛けて優しそうに微笑んでいるその男性は、一方は少し若い時に、もう一方はそれから何十年か経った後っぽい顔付きだ。 「家族写真だ」  突然後ろから家村の声が聞こえ、俺はハッとして後ろを振り返れば、何とも言えない表情で写真を眺めている顔がある。だが、家村が言ったように家族写真だとしても意味が解らず黙って見詰めている俺に 「これが俺。で、こっちが後妻とその子供」  写真をツッと指先で撫でながら家村が説明してくれる。若い時の男性が写っている方の子供が家村で、もう一枚は父親と後妻とその子供だと言う。言われてみれば男性と家村は面影が似ているような……。 「良い……家族写真だな……」  俺のところに比べれば何倍も良い写真に思える。すました顔では無く全員が自然な笑顔。かしこまった場所や服装でも無く全てが自然体だ。俺の家でも妹が十八になるまでは毎年兄の誕生日に写真館で家族写真を撮っていた。両親に揃って会える日はその日だけだったし、俺や弟妹が両親に話しかけても無視される事が多かったように思う。それは、あの人達の興味は兄でしかなかったからだ。橘家の跡取り息子。俺を含めて兄妹の中で一番Dom性が強いのが兄だったから……。寂しくなかったと言えば嘘になるが、それでも兄や家にいるスタッフ達のおかけでそれなりに楽しく過ごして来れたのも事実だ。  ただ……、全員がこんなにも楽しそうな笑顔でいた事は無いが……。 「……………そうでも無いよ」  指先で撫でていた写真を掴み家村はポツポツと喋り始め 「楽しそうに笑ってるケド母親はこん時位から浮気してたし、後数年で俺と親父を捨てて家を出る」 「……え?」  思いの外暗い話が家村の口から溢れて、俺は言葉に詰まり、そんな俺を微かに笑い奴は話を続ける。 「恥ずかしい話両親の離婚で荒れてた時期に、今度は親父がお腹の大きくなった後妻を連れてきてね」  コトリと掴んでいた写真を棚に戻し、次いではその横にある写真を撫で 「それから俺のDom性が出て、親父を含め後妻も俺を腫れ物を扱うみたいになった……。まぁ、ノーマルの二人からしたら突然Domだと解った俺は怖いだろうな……」 「……、親族にDomがいたのか?」  普通はノーマルの両親からDomは生まれない。だからきっと親族の中にDomがいて隔世遺伝で出たという事だ。 「多分母親側の誰かにいたんだと思う。調べたけど親父側にはいなかったからな」 「そうか……」  自分以外の周りがノーマルである環境も、Domにとっては生きにくいだろう。それは本能的に出てしまうモノを理解してもらうのが難しいからだ。しかもDom性が強ければノーマル相手でも支配下に置く事が出来る為、ノーマルの人達にとっても理解するよりもまず恐怖が勝る事が多い。  家村のDom性は強い。故に家族の中で孤立していたと安易に想像できてしまう。 「ケド、腹違いの弟妹達はこんな俺にも懐いてくれてるんだ」  スリリと自分が写っていない写真を撫で、どこか寂しそうに口元を緩める家村から目が離せない。 「皆、健在なのか?」  ポツリと無意識に出た台詞。少しでも明るい話題で終わればと何の気無しに出た言葉に、奴は一瞬俺の顔を見てからスッとその場から離れると 「親父は、俺が二十歳になる前に他界した」 「………ッ、すまない……」  さらなる暗い話題が出てきてしまい、俺が小さく呟くと後ろで家村はハハッ。と軽く笑い 「別に謝る事じゃ無い。ホラ、折角淹れたコーヒーが冷めるぞ?」  言いながら今度はソファーに腰掛けて、ポンポンと自分の隣を叩いている。俺は少し警戒しながらも家村の隣に落ち着き、置いてあったコーヒーに口を付けると 「それよりアンタ、Switchなのか?」  単刀直入にズバリと聞かれ、俺は飲み込むはずだったコーヒーを気管に詰まらせる。 「グッ……、ゲッホ、ゲッホ。……ケホッ」 「当たりみたいだな」  やはり家村に俺がSwitchだとバレている。そして今更取り繕っても無駄だろう。俺はコーヒーの入ったマグをテーブルに戻し 「だったら? なんだっていうんだ?」  何度か小さく咳き込みながらも、俺は開き直ったように家村に対して聞き返せば 「提案がある」  家村は俺の台詞に楽しそうに笑顔を向けそう言うと俺を見詰めるが、その目はDomそのものだった。

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