8 / 15

第8話 R18

 あらかた仕事の目処がついたとフト視線を机の上にある時計にやれば、もうすぐ十時がこようとしていた。秘書は先に上がらせ、家村には二時間程休憩を取らせているのでどこかで夕飯は済ませているだろう。自分もソロソロ帰って軽く食べ、すぐに寝てしまおうとスマホで家村に連絡をとる。  今日はもう仕事を持ち帰らまいと立ち上がり、ビルの外へ出ると家村が車の前で待ち構えていた。いつものように車に乗り込みシートに腰を下ろして溜め息を吐き出せば 「自宅で?」  バックミラー越しに尋ねられ 「あぁ……」  とだけ答えた俺に、車がユックリと動き出す。  二人きりになったこの時に昨日の話題を出されるのでは? と少しだけ危惧していたが、家村は無言でハンドルを握っている。  兄にも、家村からも最終的に決めるのは俺だと言われずっと考えている。だが考えれば考えるほど行き着くところは同じ。自分のプライドを抜きにしてしまえば、家村からの提案に乗った方が良い。という答えだ。  パートナーになる事には些か抵抗がある。何を思って家村がそう言ったのかは解らないが、出来るならプレイだけの関係の方が良い。後腐れなく、深く踏み込まれない軽い関係。  そんな事を考えていると、車は俺が住んでいるマンションの地下駐車場へと到着する。車が止まり俺は家村が車から出てドアを開けるのを待っていたが、奴が車から降りる気配は無い。数秒そのまま待っているが動かない家村に俺は眉間に皺が寄ると 「オイ、ドアを……」 「で? 良く考えてくれました?」  俺の言葉を遮り、家村が上体を捻って俺の方へ振り返りながらそう尋ねてきた。俺は、今言うのか。と寄った皺が深くなる。 「え? 何その顔……。無理って事?」  俺の険しい表情を見てそう思ったのか、自分が思っていた返答と違う顔になっていて意外だと言うニュアンスで言われ、そうだと心の中で思っていたのに 「……、プレイだけ……なら」  なんて、思っていた事とは違う言葉が口から零れ落ち、言ってしまった直後俺は固く口を結ぶ。 「……………プレイだけ……ね」  家村はオウム返しで呟き、何事か考えて暫く黙った後 「じゃ、専務の部屋へ行こう」  と、俺の返答を待たずに車から降りる。俺はというと奴が何て言ったのか頭の中で繰り返しているうちに後部座席のドアが開き 「ホラ、早く出て」  上体を屈めて顔を覗かせた奴は、俺を見てニコリと笑いかける。一拍出遅れた俺はニコリと微笑む家村に向かって 「何故お前が俺の部屋に……」 「まぁ、色々決めないとな?」 「決める?」 「ルールは大切だろ? 別に今ここで話し合っても良いが、誰か通って聞かれて不味いのは専務じゃ無いか?」 「お前……ッ」  奴には聞こえないように口の中で呟き、俺は無言で車から出る。そうして部屋へと行く為に地下から直通で行けるエレベーターに乗り込こんだ。  乗ってすぐにジャケットの内ポケットからカードキーを出し、エレベーターの中にある差込口へと入れれば階を押さずに扉が開くと玄関になっている。 「最上階?」 「…………、あぁ」  不服そうに答えた俺は、エレベーターの壁に背中を預け目を閉じる。自宅に親族以外の奴を招き入れた事は無い。今までだってそうだ。学友でさえも自宅に来る事を拒んでいたのに、一番俺の中ではあり得ない奴を今から入れる事になるとは……。  幼い時からさんざ両親には付き合う相手は選べと言われ育ってきた。他人に弱さを晒す事は悪だと教わった為に、広く浅い友人しか俺の周りにはいない。それも後々自分のメリットになる人間かと考えて付き合いをしている奴等ばかりだ。  それなのに……。  ポーン。  軽い音が鳴ってエレベーターが止まり俺は目を開ける。そうして扉が開くと見慣れた玄関が広がっており俺は一歩を踏み出し部屋へと入ると、俺の後ろを家村が付いて来る。 「ヘ~、流石にでかいな」  後ろでキョロキョロと辺りを見渡しながら楽しそうに家村が呟くが、俺は無視してリビングの方へと歩く。そうしてリビングのソファーに腰を下ろし奴の方へ視線を向け 「お前も座れ、話をするんだろう?」  顎で自分の左側にあるソファーを指しながら言う俺に、家村はニコリと笑いかけ 「アンタ、飯は?」  と、これからの話に全く関係無い事を聞かれ、俺は再度眉間に皺を寄せ 「あ?」  不機嫌を隠さずに返した俺の態度に、家村は一度肩を上下させながらソファーに座ると 「だから、飯食ったのかって聞いてんの」 「……まだだが……今、関係……」 「じゃぁ、風呂に入って来たら? その間に俺が何か作っとくし?」 「は、ぁ?」  話とは関係無い事を聞かれ、俺の返事を最後まで聞かず、ワケの解らない事を言う始末。家村が何をしたいのか理解出来ずに、一層眉間の皺が深くなる。 「腹減ってるから険しい表情になってるんだろう?」 「違ッ」 「違わね~から。ホラ立って、風呂入ってサッパリして来なよ」  一度ソファーに落ち着いたのに、奴は立ち上がり俺の腕を掴んでソファーから引き剥がすとグイグイと背中を押してくる。 「オイッ、話をしたらそれで終わりだろうがッ!?」  家村の力に負けて一歩づつ押されている俺は、首を後ろに向けて怒鳴るが 「落ち着いて話し出来る感じじゃねーだろ?」  それはお前が、そうさせないだけだろうがッ!! と、次いで文句を言う為に息を吸い込もうとしたが、後ろに回した視線が家村の目を捉え俺はヒュッと喉が鳴る。  そこには強いDomの視線がジッと俺を見据えていたからだ。その目に絡め取られ、ゾワリと全身の毛穴が粟立つ感覚に喉から出かかった文句は引っ込んでしまう。  俺は体を捩り背中にあてられた家村の手から逃れると、短くチッ。と舌打ちしてバスルームへと向かう。  バタンッと勢い良くバスルームの扉を閉め、ズルズルと扉に背を預けたままその場にしゃがみ込むと 「ッ……、クソ」  悪態を一言吐いて片手で髪の毛をガシガシと掻き毟る。  見詰められただけだ。たったそれだけの事で一瞬で体が竦み動けなくなった。それに……俺の中にあるSubが無意識にでもアイツの言う事に従いたい。と言っているようで……。  しゃがみ込んでいた俺は深く大きい溜め息を吐き出して立ち上がり、シャワーを浴びようと服を脱いでいく。  暫く頭からぬるま湯を浴び続け気持ちを落ち着かせる。ここから出れば今度は奴とプレイについて話し合わなければならないのだ。その前に俺が呑まれてどうする。  ブンブンと頭を振って気持ちを切り替えようとし、俺は何事も無いようにいつもの手順で体を洗っていく。  シャワーを浴び終わり、髪を乾かして一度寝室へと行く。パジャマ代わりにしているスウェットを着込んでリビングへと向かうとドアを開けた途端にいい匂いが部屋を包んでいる。 「タイミング良いな、今出来たトコだ」  リビングに併設してある対面式のシステムキッチンからヒョコリと顔を出して家村が俺にそう声をかけてきた。俺はキッチンのカウンターに並んでいる椅子を一つ引いて腰掛けると、目の前に炒飯と卵スープがコトリと置かれる。  ……………。美味そうだ。 「アンタのところ変わってんな。食材は色々あるのに、フライパンと鍋が一つづつしか無いとか不便じゃ無いのか?」  出されたものを目の前にして両手を合わせ食べ始めた俺に、その鍋を洗いながら目の前で楽しそうに言う奴を無視して俺は食べすすめる。  食材は頼んでいるハウスキーパーが週に一度大量に買い込んで来る為、冷蔵庫の中はいつも充実している。それに何日分かの作り置きもしているので、週始めはそれを食べている。調理器具に関しては、自分で料理をしないからハウスキーパーがどうやって料理しているのかは解らない。もしかしたら器具を持参して作っているのかもしれない。  料理、洗濯、掃除。今までそれらを自分でやった事は無い。実家では常にお手伝いのスタッフがしていたし、一人暮らしを始めてもハウスキーパーがいる暮らしで必要無かったからだ。自宅で自分がする事と言えば、ワインのコルクを開ける事やチーズを切る事位だろうか?  今日だって家村が来なければ、ワインとチーズで簡単に済ませて寝るはずだったが……。 「美味いか?」  洗い終わりそのままの位置から俺に聞いてくる家村の顔をチラリと見ながら、前回から気になっていた事をボソリと呟く。 「お前……眼鏡が無くても見えるのか?」  そう、昨日コイツの部屋で目が覚めてから奴は眼鏡を掛けていなかった。なのに普通に今みたいに料理や写真を見ていて……、そこまで目が悪く無いのか? 「あ~~~……まぁ、普通に見える、な」  気不味そうに呟いた奴は、リビングのソファーに掛けてある自分のジャケットまで近付き、内ポケットへ入れていた眼鏡を出すと再び俺の方へ来てカタッと小さい音を立てカウンターに眼鏡を置く。  置かれた眼鏡を手に取り閉じられているつる部分を開いて摘むと、自分の目の位置に持っていきレンズを覗き込む。 「………度が入って無いんだが?」 「まぁ……必要無い程度には、目が良いからな」  目の前で何度かレンズをずらして確かめるが、やはり眼鏡に度は入っていないようだ。目が良いのに何の意味があるのか? と奴の顔を見れば、俺の表情で言いたい事が解ったのか家村は苦笑いを浮かべて 「あ~……俺ってさ、こんな顔だろ?」  ……………顔と眼鏡は関係ないだろう?  そう思いながら更に無言のまま奴の次の発言を待っていると 「だから……眼鏡掛けたら、少しは顔付きも和らぐかなって……」 「……………は? そんな理由で……?」  家村からの意外過ぎる答えに、俺はポカンと奴の顔を見詰める。俺の台詞に家村は頬を搔きながら 「昔から顔付きで怖がられてたし……、研修先でも教官からそうしたほうが良いって言われて……」 「ハッ……、ハハハッ! 何だその理由は。ボディーガードなら多少顔が厳つい方が良いだろうに」  会社の人達から物腰が柔らかく笑顔が素敵と言われているコイツの意外過ぎる理由に俺が声を上げて笑っていると、家村が驚いたように目を見開き俺を凝視しているので、それに気が付いた俺はハタと笑うのを止めて 「…………何だ?」  と、瞬時に眉間に皺を寄せて家村に尋ねれば、奴はハッと我に返ったように 「ぁ……、イヤ……アンタでも笑うんだと、思って……」  なんて、些か失礼な事をボソリと呟く。 「お前……。フン、面白ければ笑うのは普通だろうが」 「イヤ、だって俺、アンタが笑ったの初めて見たし……」 「……そうそう面白い事がそんなにあるワケ無いだろうが……」 「え……、そうか?」  まるで日常に笑えるエピソードが沢山転がっているみたいな物言いに、俺は奴をジトッと睨み付けながら次いではすぐにもう一つ気になっていた事を口にする。 「それにお前、俺に対しての言葉使いもなってないんじゃないのか?」  俺の台詞に家村は一瞬ビクリと肩を動かしたものの 「え? もぅ業務外だから良いだろう?」  と、まるで当たり前のようにそう呟く。 「業務外でも、俺はお前より年上だが?」  至極真っ当な事を言い返した俺に、家村は肩を竦めながら 「そんな事いちいち気にするなんて、器が小さいと思いません?」 「なッ……!」  コイツ……、生意気に……ッ。 「まぁ、専務がどうしても気になるようでしたら善処致しますが?」  嫌味のようにニコリと敬語で言われ俺は眉間の皺を深くするが、ここでそうしろと言ってしまえば当然コイツの中で俺は器の小さい奴になってしまう。 「~~~~~、好きにしろッ」  だから、こう言うしか無くなるのだ。まんまと奴に乗せられた感が否めず腹立たしいのに、どこか小気味いいやり取りに俺の口角は少し持ち上がっていた。  家村が作った夕飯を食べ終わり、奴が食器を洗っている間に歯を磨いて再びリビングへと戻ると、ソファーに座ってスマホを弄っている奴が俺に気付く。 「コーヒー飲むだろ?」  テーブルには二人分のコーヒーが湯気を立てている。  俺は無言で家村の右側あるソファーに座り、置かれているコーヒーに手を付けて一口飲むと 「プレイに関して幾つか決めよう」  コトリと自分のスマホをテーブルに置いて、そう言いながら俺を見る奴に 「一つ言わせて貰うが……一回のプレイにつき五万支払う」 「……………は?」  俺からの提案に家村は途端に声音を低くし険しい顔付きになる。  この提案は昨日から考えていた事だ。何も無くただ家村とプレイをする事に抵抗がある俺は、それならば金を払ってしまえばまだ気持ち的にも楽だろうと考えに至った。  見返りも無く家村から与えられるだけの関係は、後々自分が駄目になってしまいそうで……。ならば最初から割り切った関係でいた方が良い。後腐れなくどちらかが嫌になれば簡単に終われる。そんな関係が俺的にはベターだ。 「その条件が呑めないなら、この話は無しだ」  心持ち早口で呟いた俺の台詞に、奴は暫く口を閉じて考えている。  何故、家村が俺に対してプレイでは無く最初からパートナーが良かったのか未だに疑問だが、その理由を聞いてしまえば尚の事浅い関係は築き辛くなるだろう。  数分重い空気が二人を包んでいたが、隣から深く長い溜め息が聞こえ 「アンタは……本当にそれで良いのか?」  と、家村が呟くので俺はハッ。と乾いた笑いを吐き出しながら 「何を言ってる……。提案しているのは俺だぞ?」  呆れたようにそう言って奴の顔を見れば、どことなく傷付いた表情で俺を見ている顔とぶつかり息を呑む。  ……………ッ、なんで、そんな顔……。  自分が思っていた表情とは違う家村に、フイと視線を外した俺に奴は 「まぁ……、アンタがそれで良いなら……」  不本意だという言葉が歯に引っかかっている物言いで奴が呟くが、俺はその一言に幾分か安堵して 「それが良いんだよ、早く他決めるぞ……」  と、早く次の話に移りたくて再び早口で喋ってしまう。そんな俺の素振りに家村はもう一度溜め息を吐き出してクシャリと自分の前髪をかき混ぜ 「で……? 他の要望は?」  不服そうに呟き掻き上げた髪と指の間からギラリとした目が俺を捉え、ピリッと項が引き攣る感覚。俺はその目から視線が逸せなくなりながら、ハクと唇を動かして 「仕事や、他の奴等に……俺達の事はバレ無いようにしたい……」 「ン、了解。他は?」 「俺がSwitchだと他の者に勘付かれる行為や匂わせも禁止だ」 「ン」 「……プレイ場所はこの家以外は駄目だ」 「解った……」  その後奴は無言のまま目だけで他は? と俺に聞いてくる。  プレイ場所もこの家以外の所でNGを出したのは、どこで誰に見られる可能性があるか解らないからだ。兄とはミーティングという名目でホテルを使うのは不自然では無いとしても、家村とでは不自然になってしまう。取り引き先もいないのに、毎回俺がボディーガードを引き連れてホテルに入るのはリスクが高い。だからといって家村の自宅では防音効果が無い為心許ない。消去法でいけば俺の自宅が一番安心と言えるだろう。  他の要望を聞く為無言で俺の言葉を待ってくれているが、それ以外はこれと言って無い。だから 「お前は? 何か無いのか?」  逆に聞き返した俺に、家村は 「俺が決めておきたいのは……、セーフワードくらいだ」  セーフワード。DomとSubが安全にプレイを行う為に必ず必要になってくる言葉。プレイ中に行為を盛り上げる為Subは『イヤ』や『止めて』などのワードを好んで使う。その為そういうワードとは全く関係ない言葉を使うのがベターになってくる。  Domの行為を受け止める側のSubが限界を超えてしまわないようにする為のワードで、Domの中にはSubを滅茶苦茶に虐めたいと思っている奴も少なくない。プレイの中でDomは自分のリミットを少しづつ外しながらSubがどこまで自分の行為を受け止めてくれるのか見極めながら行為に及ばなければならないのだが、中にはそれを無視して自分本位にプレイをする奴がいる。  受け止める側のSubがその行為に限界を感じた時に、自分を守る為に使う言葉がセーフワード。ワードを使えばDomはいついかなる時でもプレイを中断しなくてはならない。 「一般的なもので良いと思うが?」 「yellowとRedで良いって事か?」 「あぁ……それで問題無い」  ワードはプレイをする二人が話し合って決める場合もあるが、一般的によく使われているのがyellowとRedだ。  yellowは少しキツイが責めを弱くしてプレイを続行して欲しい時に。Redは直ちに中断して欲しい時に使う。  兄とのプレイでもセーフワードはこれだったし、特段このワードでなくては駄目だと言うものも無い。それに今までセーフワードを使った事が無い為、必要とも感じた事が無いのだ。だからよく使われているもので構わない。 「そうか……、じゃぁ試してみるか」  他に決める事はもう無いはずだ。まぁ出てくれば追々決めていけば良い。話は終わったと少し安堵してコーヒーを飲む為に伸ばした手を奴の台詞で停止する。 「は? ……なに、を……」  言っている? と視線を戻して奴を見れば、あの眼差しはそのままに口元だけが楽しそうに釣り上がっている。そうして俺が言葉を言おうと息を吸って吐く前に 「Switch」  奴が呟いた途端、俺の中でのDomとSubが入れ替わるのを感じる。ゾワリと全身に鳥肌が立ち、自分よりも強いDom性を間近に感じて一瞬身動きが出来ない。 「ぁ……ッ」  やはり自分よりも強いDom性にならすんなりとDomからSubに切り替わる事が出来る。そして気持ち悪くもならないらしい。むしろ兄同様に早く支配下に置いて欲しいと思う感情と、不思議と安心感が自分を包んで戸惑ってしまう。 「本当にSubに切り替わるんだな……」 「……ッる、さい」  知っている筈なのに本当にそうなのか試す為に言った家村をギッと睨み付ける。 「Subの時までそう睨むなよ」 「もう解っただろッ、早くDomに戻せ」  兄とは違うフェロモンや圧に俺の心臓はドキドキと早鐘を打ち出す。 「イヤ……もう少し確かめさせてくれ」  静かに家村は言って座っていた場所から俺の側までくると、片手を俺の方へ伸ばし指先がスリッと頬を撫で上げる。不意に頬へ触れられた瞬間、ゾワリと甘い疼きが背中を駆け上がるその感覚に俺が戸惑っていると 「Kneel」  家村から発せられた『お座り』のコマンド。俺は座っていたソファーから立ち上がると、半歩前に出てカクリと両膝が床へと落ちる。座っている奴から一段低い位置に膝を着けている俺を家村は上から見詰めフワリと嬉しそうに目を細めて再び片手を伸ばして俺の頭へと着地させ、感触を確かめるようにクシャリと髪を掻き混ぜたかと思うと 「GoodBoy」  優しい顔付きでそう呟かれた途端、シビビビッと甘い疼きが全身を駆け巡りそれと同時に得も言われぬ嬉しい感情が俺を支配した。  …………………、何だ、コレは!? 兄とプレイをしたってこんな気持ち良い感覚になった事は無い。いつもコマンドに応えて得られる感覚は安心感と出来た事への充足感。これでまた自分のSub性を隠して日常を送れる位にしか感じなかった行為なのに、相手が変わっただけでこんなにも感じ方が変わるのか?  兄とのプレイの違いに俺は戸惑いを隠せない。初めて他人から与えられる心地良さに無意識に口角が薄っすらと持ち上がっている事を自覚する。  だがすぐに家村のコマンドに応えて嬉しいと思う自分を見せたくなくて、俺は顔を下に向ける。自分が今どんな表情をしているのか見せたくないのだ。 「……顔、見せてくれません?」  たった今奴に見せたくないと思っていたところなのに、奴は少し上半身を屈めて俺の顔を覗き込むように言ってくるから、咄嗟に俺はフイと首を横に流す。 「嫌か……。ケド、表情見ながらじゃ無いと危険だって解ってるだろ?」  家村の言いたい事は解る。プレイ中はDomの欲をこちらがどこまで受け入れられるのか見極めながらしないと、こちらがサブドロップに落ちてしまう危険性がある。だから奴が言っている事は至極真っ当な事を言ってはいるが……俺の感情がまだついていかない。  顔を下に向けたままお座りの姿勢で固まっている俺に対して上から溜め息が聞こえ、俺はビクリと肩を震わせる。家村の支配下にいる今、その中で奴の一挙一動に敏感に反応してしまうのだ。  上手く奴の思う通りに出来ない自分を本能が責めるが、感情や理性は肯定していて色々なものがない混ぜになり固まってしまった自分に戸惑う。するとヌッと伸びてきた奴の両腕が俺の脇下に入ってきたかと思うと、そのまま上へグイッと持ち上げられ上半身が伸びて視線が上がる。 「Look」  自分の視線の先が奴の胸で止まった途端『見ろ』とコマンドされ、俺は止まっていた視線を本能のままソロリと上へ移動させる。喉元、顎、唇、鼻と順に辿って行き着いた奴の目。バチリと俺と目が合って、捉えた奴の表情は今まで見てきた胡散臭い笑い顔では無く、柔らかく優しい笑顔で……。 「そう。言う事聞けて偉いな?」 「……………ッ、ぁ」  たった一言褒められただけで先程と同じくビリビリと甘い疼きが走り、体から力が抜けてしまう。だが脇を抱えられている俺は下へ落ちる事は無く家村と見詰め合ったまま。 「こっちに引き寄せるよ?」  笑顔のまま奴はそう言ってグイッと更に俺の体を持ち上げながら自分の方へと俺を引き寄せ 「なッ……あ……」  同じ位の体躯の俺をいとも簡単に抱き寄せる家村に、俺は上手く言葉を発せる事が出来ず奴の膝の上へと尻を着ける形になる。至近距離からでも目を逸らせないコマンドの縛りで、俺は微かにハクッと唇を動かすと 「Hug」  俺が何か言うよりも先に次のコマンドを言われ、俺はソロリと下げていた腕を上げていく。自然に腕が奴の首に回ると、自分から距離を詰めて家村を抱き締める。すると耳元で奴が嬉しそうにハッ。と微かに笑いながら片手を俺の後頭部に差し込みもう片方を背中へと回すとグッと力を入れ 「いい子だ……」  先程よりも密着した状態。しかも息使いがすぐ近くにあり甘く感じる声音を耳にすれば、ゾクゾクと腰から這い上がってくる電流に俺は身を捩る。奴はそのまま俺を離さず背中に回した手のひらが上下に動いているが、その感触までも今の俺には過度な快感を引き出す術だ。  自分の口から甘い吐息が漏れそうになるのを唇を噛んでやり過ごしギュッと目を瞑ると、褒め終えた家村が少し俺から距離をとって顔を覗き込むような仕草をしているのが解る。 「あ~……ホラ、Look」  再び見ろと言われ、微かに下がってしまった首を持ち上げ瞑っていた目を恐る恐る開けば、鼻先がくっつきそうな程至近距離に家村の顔があり目の焦点が合わない。それでも俺が目を開いた事実に奴は満足そうに口を歪めて後頭部に置いている手を動かし 「GoodBoy」  スリリと頭を撫でられゾワリと頭皮に鳥肌が立つ感覚。その感覚に首を捩りまた目を閉じそうになるがそれをグッと堪えると首に回した手に力を込める。 「そうそう、いい子だな」  目を逸らさなかった俺を褒める家村は、一度少しだけ上体を後へとのけ反らせ上から下へと視線を下ろしていく。と、下ろした視線がピクリと止まり微かにクスリと笑った。俺は何か変なのかと首に回しているピンと伸びた腕が、恥ずかしさに少し震えるが奴はそれさえも楽しそうに背中に回していた手をスススと滑らせて俺の体の中心に伸ばし 「エレクトしてる。気持ち良かった?」  言いながら勃ち上がっている俺のモノをスウェットの上から手の甲でスリスリと上下に撫で付けて……。 「ぇ、あ?」  兄とのプレイでコントロールは出来ていた筈だ。コマンドに従う喜びや褒められて嬉しいという感情に甘い気持ち良さが混じってもこれまでは体にこうやって表面化する事はほぼ無かった。それは自分自身で律してきたからだ……。なのに兄では無く家村に相手が変わった途端、無意識に体は快感を拾って素直に反応している……。  カアァッと一瞬で首まで赤くなっていると自分でも解る感覚に、自身でいたたまれなくなり家村から視線を逸らした俺に 「ナニ、恥ずかしいの?」  楽しそうにそう呟かれ俺は相手をギッと睨み付ける。すると家村の顔付きが変わり、面白そうに歪められた口元はそのままに更に眼光は鋭く獰猛な獣のようになり、Domの圧がきつくなっていく。  ……………あ、ヤバいな。  と思った次の瞬間には 「Kiss」  とコマンドが発せられ、俺は動揺に瞳が揺れる。  ………口付け、だと? そんなコマンドは今までされた事……。  初めてのコマンドに俺は完全に固まり家村の顔を凝視するが、奴は俺のリミットを探るように揺れる瞳を覗き込み無言で俺がどう出るのか観察している。  Redと言ってしまおうか? そうすればここでプレイは中断だ。…………、だが先程よりも強い圧に俺のSub性は呑まれ従いたいという感情が自分を支配しているのも解る。Redと言わなくてもこなせるコマンドに、恐る恐るピンと張った腕を折り奴との距離を縮め顔を近付け、家村の唇の端に自分の唇を軽く押し付ける。  キスというには余りにもチープなものに、俺はユックリと奴の唇の端から自分の口を離すと、俺の唇を追って家村が顔を動かす。 「な、に……ッ」  家村が動いた事にギクリとし、何をしているんだと言う前に俺の後頭部に回っていた手がガチリと俺の頭を固定して、追い付いた奴の唇が俺の口を塞ぐ。 「ッ……、ン、ム……」  それほど他人と口付けを交わした事の無い俺は、家村のなすがままだ。兄とのプレイでは勿論口付けなどしない。男のSubとプレイ中に興奮して何度かした位の経験しか無くましてや相手から仕掛けられるなんて事も無かった。  何をしていると言いかけて口を塞がれたものだから、ヌルリとすぐに家村の舌が俺の口腔内へと侵入してきて奴の舌先が俺の舌へと絡まり、逃げようとしても執拗に追いかけて絡み付いてくる。暫く舌先同士を絡ませた後軽く舌を吸われ解放されると思っていたのに、今度は縦横無尽に動き出し頬の内側や歯列をなぞると上顎のザラザラとした箇所を舌先で舐め上げる。 「フゥ、ゥ………ッ」  他人から与えられる快感もそれ程多く無い。常に自分が与える側。Subとのプレイでも興奮はするが、相手から快感を引き出された事は無い。それに常に相手よりも上位の立場にいた自分だ。こんな風に誰かの支配下にある状態で快感を与えられた事など……。  初めての事に俺は首に回していた手を家村の肩口にずらしギュッと奴のYシャツを握り締める。  舌が絡んできたと同時に開いていた瞼をギュッと閉じてしまっていた俺は、奴がどんな顔をして俺にこんな事をしているのか気になり薄っすらと瞼を持ち上げる。家村はジッと目を開いて俺を見ていた。あの獣のような眼光はそのままに……。  その目に射ぬられ脳が焼き切れそうなほどの甘い波が俺の体に纏わり付く。 「ぁ……、ハァッ……」  微かに離れた唇の間から、自分でも聞いた事の無い矯声が飛び出しカッと首まで熱を感じていると 「もぅ、イキそうだね……?」  甘い声音で家村が呟き、それと同時に手の甲で撫で上げていた手をスウェットの中へと入れ込むと、直接勃ち上がっている俺のモノを掴み強弱の圧をかけながら扱き上げる。 「ンぁッ……ア、止めッ……」 「ン? 好きな時にイって良いよ?」  離れた唇が耳元でそう呟き、俺の顔を覗き込む為に傾げた表情は柔らかいもので……。俺はその顔にゾゾゾと這い上がってくる波に攫われまいと再び瞼をギュッと閉じ唇を噛み締めるが、噛み締めた唇にベロリと生暖かい感触がしたと思うと 「口、開けて」  次いでは家村の唇の感触と息遣いが自分の唇に触れ、ブルリと微かに震えながら俺は言われた通りに噛み締めた唇から緊張を解いて微かに唇を開く。 「良い子」  奴の唇は何度かハミハミと俺の下唇を食んでクイと遊ぶようにさらに下へ引っ張ったかと思うと、今度は舌先が下の歯と歯茎の間をツツツと舐めユックリ俺の舌へ絡んだ。その間ずっと追い上げるように亀頭の部分を重点的に扱き上げられ息が上がってくる。  Subとのプレイやセックスでもここまで興奮した事は無い。ちゃんと自分の快楽はコントロール出来ていたはずなのに、ここまで他人から与えられる気持ち良さに溺れた事が無かった俺は、無意識に絡んだ家村の舌を甘く噛んでしまう。  すると奴も自分が与えている快感に素直に反応する俺が好ましいのか、薄く笑いながら噛んだ俺の歯から器用に舌を引き抜き、反対に俺の舌を甘噛みしたかと思うと次いではジュゥッと吸い上げ、唇で舌を扱き始めた。 「ンンッ……、~~~ッ、フゥ、ン、ン……」  ジンッと頭の芯が溶けるような感覚に、扱かれている俺のモノも限界が近い。だが、どうしてか最後の決定打に欠け射精する事が出来ない。  ジリジリと俺を追い詰める快感に、扱かれているモノからは止めどなく先走りが溢れ、それによってぬるついた家村の手が更に快感を引き出しているのに……。イキたい衝動に自然に腰が揺れ、気持ち良さにわけも分からず自分からも積極的に舌を絡めている。  だが、イケ無い。  苦しさに眉間に皺が寄り、握っている奴のYシャツにも更に力が入った頃、家村がチュルリと俺の口腔内から舌を出すと 「……ッ、アンタ本当……可愛いな……」  興奮に掠れた声が呟き鋭い眼光はそのままに、だがその奥に愛しさの色が見て取れる。そうしてフッと目元を緩め 「コマンドじゃ無いとイケないとか……」 「……アッ、……な、に……?」  家村が言っている事を理解しようと、ボウッとした頭で考えようとした刹那。 「Cum」  奴の口がユックリと『イケ』とコマンドを発した次の瞬間。  ビリビリと爪先から脳天まで強い電流が流れ俺の体は小刻みに痙攣すると、溜まった熱を放出するように精液が尿道を通って家村の手の平へと勢い良く放たれる。  今まで経験した事が無いほどの快楽に、俺は背中をしならせ喉を仰け反らせると射精の瞬間にピンッと体が静止して、ユックリと弛緩していく。 「~~~ッ! ……ぁ、ハ、ァ……ッ、ぁ……」  体から力が抜け、快感の余韻に再びブルルッと小刻みに痙攣しながら俺は寄り掛かるように家村の方へと体を倒した。 「偉いな。上手にイケて」  ゴソゴソとスウェットから手を出し、後頭部にあったもう片方を俺の背中へと滑らすと、ポンポンとなだめるように軽く叩かれる。俺は返事すら返せなく荒い息を吐き出しているだけ。すると 「結構出てんな。もしかして抜いてなかった?」  なんて、茶目っ気混じりに呟かれ俺は何を言ってるんだと肩口に埋めた顔を上げ、奴の方へと視線を投げる。すると俺の白濁を受け止めた手の平を開いてマジマジと見詰めると、舌を伸ばしてチュルリとそれを舐め取り嚥下する家村とバチリと視線がかち合ってしまう。 「なッ……、何してッ!」 「………まッず」  手の平に残っている液も舌で掬い終わると、一言眉間に皺を寄せ奴が呟く。その台詞に俺はボッと全身が熱くなるのを感じながら 「お、お前ッ! お前ッ、何を……ッ」  余韻に浸っていた俺は、バッと家村から離れ乗っている膝の上から下りようとしたが、それよりも早く背中に回っていた手が今度は腰に落ちてガッチリと腕を回し俺を膝から下ろさないようにしている。 「は、離せッ!」  俺は腰に回った腕を掴み引き剥がそうとするがビクともしない。  クソッ……俺と同じ位の体格の癖に……。  家村の膝の上に乗って解った事だが、コイツは着痩せするタイプなのか服越しにあたる体は筋肉質で体幹もしっかりしていて……、俺が乗っていてもブレてぐらついたりしなかった。 「Stay」  奴の上でモダモダと動く俺に『待て』のコマンドを放たれ、俺はギクリと体の動きを止められる。 「……ッ、終わった……だろ?」  俺がイっただけでは終わらない。まだ続きがあるのだと言われているようで、俺は訝しげに奴を見詰めて呟く。すると俺の表情で言いたい事が解ったのか家村は微かに笑い 「アフターケア、させてくれない?」  俺が思っていた台詞とは違う言葉に一瞬呆気に取られるが、次いでは 「そんな、事ッ……兄さんとでも……ッ」  プレイが終わればそれで良いはずだ。今までアフターケアなんてした事が無い。  まだ経験した事が無い事柄に、言葉の意味を深く考えず咄嗟に呟いてしまい黙った俺に対して 「……………、社長?」  どうして今社長の名前が出てくるのか? と解らない表情をしていた家村だが、その言葉に俺が小さく、あっ。と漏らした事で全てを理解し 「え、何? 今までプレイしてたのって……」  動揺して揺れる目を見られたくなくてフイと顔を逸らした俺の行動は、家村の疑問に答えた形になった。だが、それ以上何も言わなくなった俺に家村は 「あ~~……、まぁアンタより強いDomなんて早々見付からないし、しょうが無いっちゃしょうが無いのか……」  そう呟くがそれはまるで俺に言っている風では無く自分に言い聞かせているようで、俺はその台詞にソロリと視線を上げる。すると家村はずっと俺を見詰めていて、その視線にドキリとしてしまうが 「あ~、のさ。……社長とはこんなプレイして無いよな?」  なんて……。言いにくそうだがハッキリと訳の分からない事を呟くので俺はギッと奴を睨み付け 「するワケ無いだろッ! 兄妹だぞッ」  声を荒げながら言う俺に、家村は少しだけ安堵の表情を浮かべたかと思うと 「もしかして今まで一度もアフターケアされた事無い?」  首を傾げ優しい表情のまま聞かれて、俺は一瞬口をつぐんでしまうが 「………ッそんなもの、必要……無い、だろ」  グイッと掴んでいたYシャツの手を伸ばし出来るだけ家村と距離を取る俺に、奴は微かに呆れたような溜め息を吐き出して 「じゃぁ、サブスペースも入った事無いか……」  サブスペースとは、プレイ後やお仕置き後にDomからのアフターケアで褒められたり甘やかされたりする事で相手の支配下に入り、Subが多幸感に包まれる事をいう。これもDomの力量とどれだけSubとの信頼関係があるかによって入るタイミングや深さが違うらしい。より信頼関係が結べた相手ならばプレイ中でもサブスペースに入るSubもいる。だからこそ早く信頼関係を築く為にアフターケアを重要視するDomは多い。  だが、俺には今までそんなもの必要無かった。Domの時の自分自身でさえ相手のSubに対しそんな丁寧にプレイやお仕置きをした事は無い。 「そうか……。ケドこれから俺とプレイをするなら、俺のやり方に慣れてもらうから」  な? と俺を見据えて呟いた家村は腰に回した腕にグッと力を入れ、自分の方へ俺を再度引き寄せる。 「ぁ……ッ」  俺はまだコイツから逃れなれないのだと、小さく悲鳴にも似た声が口から漏れ出た。

ともだちにシェアしよう!