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第11話

 家村との一件以来仕事をこなす事に終始している。極力絡まず二人きりになる事も避けて事務的に接してはいるものの、それでも空気感は悪い。いい大人が……とは思うが、正直これが互いに限界なのだろう。  俺に関しては前よりもプライベートが酷い事になっている。食事も摂ったり摂らなかったりしているし、酒の量が以前に比べ増え連日二日酔いによる気持ち悪さと頭痛に耐えながら仕事をしている状態だ。だが奴の前で弱っている自分を晒す事は考えられず、前以上に家村に対しては気を張って完璧に振る舞っている。  クンッ。  乗っていた車が停まった反動で体が微かに前後する。自宅マンションの地下駐車場に着いたのかと仕事の資料から目を離し、上げた視線でバックミラーを見ても家村はさっさと運転席から降りると、俺が座っている後部座席のドアを開け上部に手を添えて頭がぶつからないようにしているが、顔は正面を見据えこちらには向いていない。俺は小さく息を吐き出し車から降り一歩を踏み出した所で、奴は深く腰を折って 「お疲れ様でした。週明け、いつも通り迎えに上がります」  とだけ言い、俺が歩いてマンションへと入って行くまで顔を上げない。 「ッ……」  家村はあの日から徹底して自分の視界に俺を入れなくなった。もし視線が交ってもすぐにフイと逸らされてしまう。その度に俺は息苦しくなり胸がギュウッと締め付けられる感覚を味わう。その苦しさから早く開放されたくて今も無言で足早にマンションへと入って行く。  自分の部屋へと帰って来てスーツを無造作に脱ぐとシャワーを浴びて自室へ、スウェットを着てキッチンへ向いグラスと新しい酒瓶を持ってリビングのソファーへ座る。最近Sub用の抑制剤も元のキツイものへと戻した事で、また睡眠障害が再発し余り眠れてもいない。このまま目の前のテーブルに置いてある酒瓶がほぼ空になるまで今日も飲んでしまうのだろう。  酒を飲んでグルグルと考えている事を止めたい。あの日に終わった関係をもう一度修復するためにはどうしたら……。なんて、今までの俺なら考えられ無かった事をいつまでもループのように考えてしまう。それにこの部屋ではそこかしこに奴の事を思い出してしまう場面が多過ぎる……。  胡散臭い笑い方ではなく年相応に屈託なく笑う顔や、キッチンで俺の為に料理をしている姿。リビングで一緒に食事を摂っている時に大袈裟に身振り手振りで話す奴の声に、映画を見ている時重なった手の感触。そのどれもが鮮明で、そして今の俺には苦痛だ。寝室に至ってはプレイを思い出してしまいそこで寝る事さえ出来ない。  コマンドを発する時の目、褒める時の優しい表情、けれど時に意地悪で俺を翻弄したかと思えば、こちらがグズグズになるまで優しくされ……。 「………ッ」  ゾクリと湧き上がる欲や感情を忘れたくて、俺はグラスに入れた酒を一気に煽った。  考えたく無い。忘れてしまいたい。こんな感情を味わう位なら最初から家村との関係を止めておけば良かったと何度も思って、そうしてまた振り出しに戻る。  みるみる酒瓶からアルコールが減り、やっと明け方近くに気を失うようにしてリビングのソファーで眠りに就く。  シャッ、シャッー……。 「橘さん、大丈夫ですか? またこちらで寝られたんですか?」  カーテンが引かれ部屋中に光が差し込み、それと同時に声をかけられて俺は薄っすらと目を開ける。そこには心配そうに俺を見下ろしているハウスキーパーの佐藤さんの顔がある。 「ぁ……さ?」  アルコールで水分が飛んだ喉はガラガラで、俺の声に少しだけ眉毛を寄せた彼女は 「お水、飲まれますか?」  と、俺から離れキッチンの冷蔵庫の方へ近付く。そしてバコッと扉を開き数秒そこで止まると 「また、召し上がって無い……」  ため息混じりに呟いた声が聞こえてきて俺は、ぁ~……。と小さく漏らしながらガシガシと髪を掻く。  佐藤晴子は俺がここに越して来てからずっとハウスキーパーとして来てもらっている年配の女性だ。彼女の事を知ったのは兄から。Dom専用のハウスキーパーを紹介しているところがあると聞き派遣してもらった。彼女はノーマルだが、しっかり訓練を受けているのか、長年この仕事をしていて慣れているのか、当初から俺に怯える事は無く働いてくれている。土日の週末どちらか朝から夕方まで部屋に来て、掃除、洗濯、週初めの作り置き等をして帰って行く。当初は寡黙で黙々と仕事をする印象が強かったが、家村が毎週末来るようになって二人で話し込んでいるのを度々見かけていた。それから俺とも話をするようになっていたが……、家村が来なくなり俺の生活が荒れ、俺自身誰とも話したく無いというオーラが出ていてそれが伝わったのかソッと見守る事をしてくれている。だが、折角作ってくれている作り置きをほとんど手を付けずに冷蔵庫に放置している俺に呆れたのか、グラスに水を入れ戻って来ると 「まだ何も召し上がらないつもりですか? このままだとお体壊しますよ!」 「………、少しは食べてる」 「あの量は食べてるなんて言いません! 今日は朝食、食べて頂きますからね!」  グラスをテーブルに置きながらそう言われ、彼女はキッチンに戻って行く。それから間もなく何かを作っている音に、俺はテーブルに手を伸ばして水が入っているグラスを通り過ぎ酒が入っているグラスを…… 「橘さんッ! お酒はもう飲まないで下さい!」  対面式になっているキッチンのせいで、料理を作りながら俺が何をしようとしているのか解った彼女は、声を荒げながらそう言ってくるので俺は渋々水が入ったグラスを掴んでコクコクと喉を潤す。傍らにある酒瓶は三分の二が無くなっていた。  グラスの水を飲み干し、何もする気力がおきずにボ~っと首をうだれて床のフローリングを見ている。どのくらいそうしていたのだろうか、突然ポンと肩を叩かれビクリッと肩が上がり叩かれた方へと首を動かせば 「橘さん大丈夫ですか? お食事出来ましたが……食べられます?」 「あぁ……」  ユックリと立ち上がりキッチンのカウンターへと足を向け、椅子に座ると目の前に粥が置かれる。そうして小鉢に粥に合わせる様々な具材が置かれ最後はお茶。 「胃に優しいものなら召し上がれますよね?」  作り置きも胃に優しいものにしますので。と言いながら、使用した料理器具をカウンター越しに洗い始める。  俺はモソモソと粥を口に運んで食べているが、美味しいとは感じなかった。これは家村との事が終わってからどれを食べても味を感じなくなったから。一人で食べても美味しく無いのなら別に食べなくてもいい……と、食事も疎かになってしまった。  料理器具を洗い終え手を拭きながら佐藤さんが心配そうに、一点を見て食べている俺を見詰め 「家村さんと喧嘩でもなさったんですか?」  プライベートな事は極力聞かないと会社の規定にもあるだろうに、俺のここ最近の現状を見てつい口から漏れた言葉だと解り俺は薄く笑う。 「……喧嘩か……だったら、良かったのかもな……」  ボソボソと呟いた俺の台詞に 「……お別れ、されたんです……?」  詰まりながらもまさかと意外そうに返され、俺は彼女の方に視線を向け 「別れた……とも違うか……。始まってもなかったが……」  自虐的に軽く笑っていた俺に、口元に手をあてて 「そう……なんですか? 私はてっきりお付き合いされてるとばかり。家村さん、あんなに橘さんの事を楽しそうに話されていたので……」  喋っていた彼女は、俺がジッと見ている事に気付き喋り過ぎたかと口を噤む。 「楽しそうに俺の事を……?」  だが俺が気にせず反対に聞き返した事で許されたと判断した彼女は 「えぇ……。まだパートナーにはなれてないけど、いずれは……と仰っていたので……」  パートナー……。家村が一番最初に俺に提案してきた関係。何故俺とパートナーになろうとしたのかその理由を聞く事は最後まで無かった。もし、聞いていたら何かが変わっていたのだろうか……?  そう考えが浮かぶが、すぐに否定する。アイツは既婚者の俺とは関係を作れないと言ったのだ。ならばどうしたって結果は今と同じじゃ無いのか? 「そうか……」  それでも奴がそう考えてくれていた事を知り、俺の口元は綻んでいた。

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