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 どうして、と聞こうとしたが声は出ず、思わず喉に手を当てる。そのうちに、手を伸ばせば届く距離にいた恋人が徐々に離れていく。不安が募れば募るほど、間隔が広がって行った。大声を出しているつもりなのに何も聞こえない。もどかしくて涙が頬を伝った。  ビクンと体を揺らし、藤崎は突っ伏して眠っていた頭を上げる。一瞬、自分のいる場所がどこなのか分からなかった。夢と現実の境界線がないような気がして、目の前の景色に違和感を覚える。 (夢……?)  ずいぶん昔の夢を見た。最近は見なくなっていたのに、あまりに鮮明な夢はどうしてもその時の感情をリアルに蘇らせる。  藤崎が大学生だった頃、恋人と初めて二人で行った海の記憶は、忘れられない思い出だった。いつも笑顔で、何をしても前向きな彼は、直視できないくらい眩しい存在だったのを覚えている。  短い黒髪と運動部で培われた筋肉の張った背中、彼の全身を見れば骨格の太さも容易に想像できた。上背があり、見上げなければ視線を合わせることができない彼の隣にいるのが、何よりも幸せだった。やさしい眼差しを向けられる。男らしく上がった眉尻は笑うときだけ少し下がり、彫りの深い顔立ちは目元に陰を作った。鼻筋の通った精悍で爽やかな印象の恋人は、海が似合う男だった。 「浩輔……」  頬がヒヤリとしていて、夢を見ながら泣いていたのだと気が付いた。それをそっと手で拭い深いため息を吐いた。  薄暗い空間には、花桶に刺さった花が所狭しと並んでいる。レジ前の小スペースで店内に展示するた為のアレンジメント制作をしていたところで、日中の疲れが出たのかそのまま寝てしまっていたらしかった。 「また思い出したよ。少し、僕の話しを聞いてくれる?」  レジの脇にある小さな鉢に咲いているシオンの花に声をかける。花弁を指で撫でると、細い茎の紫色の小さな花を揺らした。花弁の一枚一枚がガーベラのように細長く小さくてかわいい。そんなに密集して重なっておらず、管状花の黄色がとてもバランスのいい花だ。  今の時期に咲くのはとても珍しく、藤崎が温室の中に入れて大切に育てているというのもあってキレイな花を付けている。菊科の多年草で元々は夏から秋にかけて綺麗に咲く花だ。誰もいない時はたまにこうして話しかけたりする。  今日は昔の恋人を思い出して気持ちが感傷的になっていた。人に見られれば恥ずかしいだろうけれど、今は藤崎一人だ。まだ濡れた頬を手の甲で拭いながら、ユラユラと揺れるシオンに向かって再び話し始めた。  藤崎が小学生に上がる前、海外へ長期出張に行った父親は現地の事故に巻き込まれ亡くなった。その一報を家族が知ったのは、報道番組だったと聞いている。藤崎はまだ幼かったため、帰ってこない父親に寂しい気持ちだけを募らせた。

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