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第四章 前を向くとき 01
真宮への気持ちに気付いてから、奥村が夢に出て来なくなった。それは淋しくもあったけれど、さんざしの店の前で涙を滲ませた時に思った。いつまでも思い出や奥村に縋っていては、前には進めない。彼が亡くなってからしばらくして、ちゃんと区切りを付けたつもりだった。そして何より、奥村がが立ち止まることを良しとしないだろう。
「ふう……こんなもんかな」
店先でずっと曲げていた腰を真っ直ぐに戻した。中腰の作業はさすがに腰に来る。ギシギシと音が鳴るブリキのようだった。
切り花ばかりをメインにやっていたが、いろいろな花苗やそれに関連する用具を入れることにした。ガーデニングを始めた、という客のリクエストに応える為というのもあったが、売り上げを考えてという部分も大きかった。今までは鉢物などはあまり置いていなかったけれど、配達もすると決めたのでこの際思い切って入れることにした。
今のところは、この時期から苗で植える物を中心に店先へ並べる。サクラソウ科の多年草であるプリムラ。この花は四十センチ程まで伸び赤やピンク、オレンジの色が鮮やかで、長い間楽しめるものとして一般的だ。そしてスミレ科の一年草でパンジー、キク科で多年草のマーガレットなどだ。たくさんの苗を入れることはできないが、とりあえずはリクエストのあったものを置いてみた。
その脇には消耗品の液体肥料や鉢植えの置き肥なども並べた。少しでも目に止まってくれればと思い、それらの花を合せたアレンジメントのスケッチも描いた。あまり上手くはないし、黒板に何色かのチョークで描いただけなので、それほど目立たないかもしれないが、ないよりはましだろう。
バランスはどうだろう、と並べ終えて少し店から離れ遠目に見る。花苗始めました、の幟があってもいいかな、なんて考えていると、後ろから声をかけられた。
「あの……このお店の方ですか?」
「あ、はい。いらっしゃいませ」
振り返ったそこに立っていたのは、上品な和装の女性だった。黒髪はキレイにアップされており、少し目つきの厳しい五十代くらいの人だ。
「ここに、真宮という人間はおりませんか?」
「えっと、真宮……くん、ですか?」
意外な質問に驚いたが、もしかして知り合いなのかも、と思いバイトで入っていると伝えた。そうするとその女性の顔が険しくなり、何か言いたげに藤崎を見た。
「あの、彼とどういうご関係でしょうか?」
「わたくし、真宮智聡の母です」
「え……」
厳しい目つきになったその女性に睨まれながら、藤崎は固まってしまった。彼女が好意的な雰囲気ではなかったからだ。
今の時間は真宮は配達に出ている、と答えると、少し話がしたいと言われ、立ち話もできないので店の奥へ招き入れた。レジに鍵をかけ、呼び出し用のインターフォンをその近くに置いた。一人の時や憩時間はいつもそうしている。
店の奥で真宮の母親の話しを聞くことになり、藤崎は緊張した。
何事かと思っていれば、彼の家は華道の家元であると告げられ、しかも長男で跡継ぎであるという事実に驚愕した。大学を卒業した後、父親と仲違いをしたまま家を出て勝手に就職をしたが、その会社も辞めてしまい帰ってくるものだと待っていたのだという。
けれど、一向に姿を見せない長男にしびれを切らせた母親が、さんざしで仕事をしていると知ってやって来たらしかった。長男で家を継がなければいけないのに、こんなお店でバイトをしていると知った母親は、酷く動揺していた。母親の言葉にも耳を傾けない真宮を、何とか家に帰るように説得して欲しい、と頼まれた。
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