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 顔を上げた親父は瑞希の方に体の向きを変え、正面から瑞希を見た。 「島野瑞希くん」 「は、はい」 瑞希も親父を真っ直ぐに見る。俺置いてけぼりな感もあるけれど、何を言うんだろう。 「遼一の事をよろしく頼む。こいつは、今やっと親に本音が言えたような意気地のない奴だけど、悪い奴ではない。こんな稼業してる俺が言うのもなんだが、悪いことの嫌いな奴で、陽の光が似合う奴なんだ。俺に似た人相してるけど、目付きが悪いだけなんだ」  よろしく言われてしまった瑞希は驚いた顔をしてたけど、くしゃくしゃの笑顔で「知ってます」と言ってくれた。 「しかしなぁ、島野さんご夫婦が亡くなったのも寂しいが、あそこのパンが二度と食べられないのも寂しいもんだなぁ……」 「そうよね、私もあなたが買ってくるの楽しみにしてたの」 「あの……差し出がましいかもしれませんが、俺が作ってもいいですか?パン・ド・ミなら父さんの味出せると思うんですけど…」 「ほんとか?!」 「俺も食ったけど美味かったよ」 「遼一もあの味を…。うむ。ここの台所にな、パン作りに必要な材料は揃ってるんだが…」 「はっ?」 「遼一聞いてよ、この人ったらね、島野さんのとこのパンが食べたいって言って舎弟さんたちにパン作りさせたのよ」  はっ?母さんがくれた情報を脳内で再生してみる。さっき出迎えてくれた奴らがここの台所でパン作りを?いかつくてデカい男達が可愛いエプロンをして、あーでもないこーでもないと生地を捏ねる様を想像して吹き出してしまった。可愛いエプロンは多分してねーだろうけどな。 「遼一、今日ってこのあと別に予定ないよね?ここでパン作りしてってもいいかな?」 「別にいいけど…」 「遼一もまた一緒に作ろうよ。あの、台所お借りしてもいいですか?」   「もちろんよ。私が案内するわ。いいわよね、あなた?」 「あぁ、もちろんだ。瑞希くんよろしくな」  こんな展開全く想像もしてなかった。  親父に怒鳴られる俺とか、殴られる俺とか、どうにか殴り返す俺ばっかり、嫌な想像ばっかりしてきた。最悪な事になっても耐えられるように、より最悪な場面を想定してから来た。  なのに何だよこれ。温かい系のホームドラマみたいじゃねーか?  こんな穏便に話が進むなんて、親父が穏やかな顔して俺の前にいるなんて。  なんだか照れくさいというより、むず痒い。

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