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第3話 救世主

 榊原はそばにいた比較的地味なタイプの女性を選んで声をかけた。  『加奈子』という名前のその女性はやはり友達に無理に誘われて初めて参加したのだと言った。  自分のことをあまり聞かれても困るので、できるだけ加奈子のことを聞き出すように話をしていたが、加奈子は自分に興味を持たれたと勘違いしたのか、次第に目をキラキラと輝かせて話に夢中になり始める。   「楓先生って、お医者様なのにちっとも偉そうにしていないし、優しくて話しやすいな」 「そうかな、僕なんてつまらない男だと思うけど」 「そんなことありません! すごく知的なムードで素敵だなって思います」    知的、か……  本来の自分には縁のない、見当違いの褒め言葉に苦笑する。    ああ、こんな風に医者は女をとりこにするのだ。  自分の中身が変わったわけでもないのに、医者だと偽っているだけで女が羨望の眼差しを向けてくる。    ここにいる女達は浅はかだな、と榊原は空しい気持ちになった。  医者でない実際の自分が声をかけても、女はこんな風に喜んだりしないだろう、そう思うと加奈子の笑顔もうれしいとは思えなかった。  パーティーが終わりに近づくにつれて、最初はおとなしかった加奈子はどんどん積極的になり、しつこくこの後も一緒にどこかへ行こうと誘ってきた。  友達には相手が見つかったのに、自分だけひとりでは格好がつかないという勝手な理屈を押し付けてくる。  この後は用があると言葉を濁して会場を出ようとした榊原を追いかけてきて、加奈子はそれでもまだ食い下がろうと腕を絡ませてきた。    いい加減にしてくれ……  榊原は女にしつこくされた経験はないのだが、初めて会ったその女の貪欲さに辟易した。  中川の顔を立ててパーティーだけは参加したが、これ以上は付き合えない。    当の中川は目当ての女性と連れ立ってとっくに会場を後にしていた。  なんとかして加奈子を振り払えないかと思っていたところへ、突然さっきの男が声をかけてきた。   「お前、大丈夫か? 顔色真っ青だぞ。体調が悪いんだろう?」    え?と初めて気づいたように、加奈子は榊原の顔を見つめている。   「楓先生とお知り合いですか?」 「まあな」  男は言葉を濁すと、榊原の肩に手をかけた。   「お前は、今日はもう帰ったほうがいい。送ってやろう」 「悪いな……そうさせてもらう」    何がどうなっているのかよく解らないが、この場では救世主だった。  榊原は男に話を合わせると、加奈子に別れを告げた。   「タクシーを止めるから待ってろ」    そう言って男は、通りへ出ると車を探してくれた。  正直、助かった。    実際榊原の体調は限界で、傷はズキズキと痛み、立っているのも辛かった。  頭が重く視界も霞んでいくようだ。  男が止めてくれたタクシーに乗り込むと、行き先を告げる前に榊原は意識を失った。  ふと目をあけると、飛び込んできた景色はどこかの病院の診察室だった。  白いカーテンの引かれた診察台に自分は寝かされている。    ぼんやりとした記憶をたどり、恐らくそこは助けてくれたその男の病院なのだろうと思い至った。  身体を起こし、カーテンを開けると男は私服に着替えてデスクに座っている。  診察室の様子から、どうやら開業医なんだろうと想像がついた。   「気がついたか」 「あの……すみませんでした、お世話をかけて」 「熱が高いし、衰弱しているようだが、どこか悪いのか?」    診察室で医者にどこか悪いのかと聞かれるのも奇妙な感じだな、と思った瞬間に、そうだ自分も医者のフリをしていたんだったと思い出す。  なんと答えたものかと口ごもっていると、男はさらに問いかけてくる。   「自分で診断ぐらいついているのだろう? 変な歩き方をしていたようだが、どこかに炎症でも起こしているんじゃないのか」    さすがに医者だけあって鋭い。  できるだけ我慢していたつもりだったが、傷をかばって歩いていたのは見抜かれていたようだ。   「……痔なんです。心配いりません」    あまり嘘はつけないと感じた榊原は、なるべく近い病名を言った。  相手は医者なんだから笑われることもないだろう。   「かなり酷そうだな。熱もそのせいか? 診せてみろ」    診せてみろ、と言われて榊原はぎょっとして目を見開いた。  冗談じゃない。  後ずさりをするように激しく首を横に振る榊原に、男は笑い声を上げた。   「医者同士なんだ、信用しろ。俺は外科医だから痔の患者ぐらい見慣れている」 「医者なんて信用できるものか」    榊原が咄嗟に吐き捨てるように言うと、男は怒る様子もなく苦笑する。   「まあ、それは俺も同感だが」    嫌だ、とかたくなに拒む榊原に、男は諭すように説得を続けた。   「痔をナメてたらダメだぞ。放っておけば壊死や腹膜炎になる可能性だってあるんだ。お前だってそれぐらい知っているだろう」    確かに、ここ数日で症状はどんどん酷くなっていて、それを恐ろしいと思う気持ちはあった。  いずれ医者に見せなくてはならないなら、知らない医者の方がいい。  後日病院を探して自分で行くことを思えば、今診てもらったほうが良いのかもしれない。  

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