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第5話 泊ってしまった

 一時間ほどだろうか……榊原は久しぶりにぐっすりと眠った気がした。  点滴をはずそうとする気配で目覚めると、いい匂いがして腹がぐぅ、と鳴った。  男は笑いながら塗りの器にはいったおかゆを榊原に差し出す。   「お前、さっきのパーティーで何も食べてなかっただろう。少しでもいいから食べろ」    薄い塩味だけのおかゆに梅干がひとつ落としてあって、食欲をそそる。  熱いおかゆが喉を通り、空っぽの胃袋に届いて、じんわりと染み渡るように身体も心も温かくなっていくようだ。   「美味しい……」 「そうか。新米だぞ、さっき米から炊いたんだ」    男は嬉しそうに笑った。  パーティーの時は仏頂面をしていたのによく笑うんだな、と印象が変わっていく。   「自分で料理なんてするんですね。結婚してないんですか?」 「結婚してたら見合いパーティーなんて行かないだろう?」    そう言われたらそうだった、と榊原は自分の質問の間抜けさに気づく。   「まあ、俺もお前と同じで、人数合わせに呼ばれただけだがな。お前、藤城会病院の中川と一緒に来てたようだが同僚か?」    同級生です、とだけ榊原は答えた。  嘘ではない。  医大の同級生だと思われたか、病院の同僚だと思われたのかは分からないが、それ以上詮索されないように榊原は話題をそらした。   「稜先生ぐらいの容姿だったら、女になんて不自由しないでしょう?」    名札に書いてあった名前を思い出して呼んでみたが、男は気にする様子でもない。   「女はもう懲りたんだ。俺はバツイチだ。一年持たなかったな」    自嘲ぎみに男は言った。   「お前は家族と暮らしているのか?」 「いえ、一人暮らしです。ワンルームマンションでわびしく」 「そうか。医者でも苦労しているヤツはいるよな」    そうだった……  ついうっかり、本当のことを言ってしまったが、医者でワンルームに住んでいるような貧乏暮らしのヤツは少ないだろう。   「良かったら泊まっていけよ。身体を動かすのは辛いだろう? 痛みはどうだ」 「だいぶマシになりました。有難うございます……こんなにお世話になってしまって」 「気にするな。ケガ人を泊めるぐらいよくあることだし布団も予備がある。お前、明日は外来か?」 「いえ……」 「常勤じゃないのか。まあ休めるものならゆっくりしたほうがいいぞ」    男はそれ以上深くは聞いてこなかった。  着替えを榊原に渡し、喉がかわいたら、と言ってペットボトルの水を枕元に置いてくれた。 「俺は隣の部屋にいるから、何かあれば声をかけてくれ。遠慮しなくていいぞ」    見ず知らずの男の家に泊まっているなどという状況は榊原のこれまでの人生に一度もなかった。  友達の家にすら泊まりに行くことなどない。    安易に信用していいものかわからないが、男の部屋は不思議と自分の部屋よりも落ち着ける気がした。  場所が変われば悪い夢も今夜は見なくて済むのかもしれない。    行き詰まった時には日常を離れてみることも必要なのだな、と榊原は思った。  そう思えは中川に誘われてパーティーへ出かけたことも、今となっては正解だったのだ。    翌朝、物音で目覚めて、音のするほうを探してみると、男は台所で朝食の支度をしているところだった。  テーブルを挟んで、コーヒーとトーストとサラダの朝食をご馳走になる。   「お前、しばらく通って来いよ。その方が早く治るから」 「でも……仕事が終わるのが遅いので」    榊原が言いよどむと、男は有無は言わせないぞ、というようにジロリと鋭い視線を投げかける。   「お前、自分で患部に指突っ込む勇気あるのか?」 「……無理です」    榊原はトーストをかじりながら『指を突っ込む』などと平然と言う男に、思わずコーヒーを吹きそうになり、顔を赤らめて俯いた。  昨日は気を失っている間にそんなことまでしてもらっていたのだったと思い出すと、顔から火が出そうな気持ちだ。   「だろう? ここは藤城会病院からもそう遠くはない。時間外でも構わないから仕事帰りにでも寄れ。五分もあれば処置できるし、俺は病院の方にいなければたいていここにいるから」    わかりました、と答えながら、そう言えば診察料をまだ払っていなかったことに気づいた。   「すみません、昨日の診察料を払わないと」 「いいんだ、気にするな。軟膏と消毒薬がちょっと減ったぐらいのことだ」    ああ、それから、と思い出したように男は薬袋を榊原に渡した。   「抗生物質と痛み止めだけ出しておく。それぐらいは内科でも処方できるだろうが、お前は自分の病院でカルテに残したくないだろう?」 「……有難うございます。助かります」    本当に何から何まで気の利く男だ。  薬袋を見ると、『倉田医院』と書かれている。   「倉田、というのは……」    苗字ですか?と聞こうとしたら『叔父の病院だ』と男は言った。   「俺は男三人兄弟の二番目で、跡継ぎがいなかった父親の兄である叔父の病院を最近継いだんだ。兄弟で外科は俺だけだったしな」    詳しくは聞かなかったが、どうやら父親や兄弟も医者、という医者一家のようだ。   「俺はこの家に祖父が住んでいた頃からこの家が好きだったんだ。古い家だがな」 「昔なつかしい気がしますね。いい家だな」 「三年程前に叔父が別の場所に家を建てて、ここを売りに出すと言うので、病院ごと買い取ったんだ」 「じゃあ、稜先生が今は院長なんですね」 「院長と言っても、看護婦と薬剤師のオバサンがいるだけだがな」    朝食を終え、倉田が白衣をはおったのをタイミングで、榊原はもう一度礼を言って帰ることにした。   「晩、待ってるからな」    倉田は念を押すように言って笑った。

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