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第7話 百戦錬磨?
倉田は鍋のシチューを温めながら手早くフランスパンを切ると、冷蔵庫からサラダを出してくれた。
「楓はたくさん食えよ。そんなに細いから倒れたりするんだ」
楓、と呼ばれるたびに何か甘い気持ちが胸にこみ上げてくるような気がする。
女みたいであまり好きではなかった自分の名前を好きになりそうだ。
「もっと食えって。おかわりもあるぞ?」
「そんなに食えませんって……」
倉田は榊原が遠慮しているのではと、甲斐甲斐しくパンやサラダを榊原の皿に積み上げようとする。
楽しい……
こんな気持ちは久しぶりだ。
ずっと嫌なことばかり続いていたのに、まるで砂漠のオアシスのように倉田のそばは安心で居心地がよかった。
「お前はアレだな、今時のナントカっていうグループの歌手みたいな顔だな。えーっと、ドラマによく出ている……」
自分とは似ても似つかないアイドルタレントの名前を出されて榊原は吹き出す。
「俺はあんなにルックス良くありませんよ」
「そうか? そんなことないと思うぞ。女にはモテそうなキレイな顔立ちじゃないか」
顔がキレイだ、と言われたことはある。
姉のお下がりの洋服を着ていて、子供の頃はよく女の子に間違われた。
女顔だ、と言われるのは榊原のコンプレックスだった。
色白で華奢な体つきも変えようがなかった。
倉田のような精悍な顔立ちや、逞しい体つきがうらやましい。そんな容姿だったら襲われることもなかっただろうと思う。
「俺は女みたい、と言われるのがコンプレックスなんです」
「いいじゃないか、男でもキレイだと言われたら自信を持っていいと思うぞ。俺は好きだけどな、楓のような顔立ちは」
好きだ……と言われて榊原は思わず顔を赤らめてしまった。
男に顔が好きだと言われたのは初めてだが、倉田が言うと不自然ではないように思う。
倉田にはつい弱みも素直に口に出せてしまうのは、一番恥ずかしい弱みをすでに知られているからなんだろう。
カウンセラーのように倉田は榊原の悩みを軽くしてくれる。
気がつくと普段口数の少ない榊原が、ずいぶんと多弁になっていて、倉田はそれを穏やかな顔で聞き入り、楽しげに受け答えをしていた。
すっかり腹いっぱいになった上に、持参した菓子も一緒に食べて食後のお茶を飲んだ。
「俺、そろそろ失礼します。すっかり長居してしまって……」
「おう。今週は来れるだけ来いよ。来週ぐらいにはかなりマシになると思うからな」
榊原は来た時よりも軽い足取りで家に向かっていた。
心が軽くなると身体も軽くなるようで、鼻歌まで出てくるぐらいだ。
通え、と言われているのだから、毎日でも倉田の顔を見に行っていいのだ、と思うとそれを楽しみに頑張れそうな気がする。
翌日も晩に倉田のところへ顔を出し、夕食を一緒にとった。
向かいに住んでいるおばあさんは榊原が来ているのに気づいていて、最近友達が来ているようだからと食べきれないほどのおかずを届けてくれるのだ、と倉田は言った。
そう言われると食べないと申し訳ないような気分になり、榊原も断ることが出来ない。
それに、断る理由もなかった。榊原は倉田と一緒に食事できることを、密かに期待していたのだから。
その週は毎日のように通っていたのだが、ふと倉田医院には自分の会社の営業マンが来ることはないだろうか、と気になった。
榊原はまだ自分の本当の職業を伝えていなかったので、こんなところで鉢合わせたら嘘がバレてしまう。
会社で過去のデータを探してみると、三年ほど前までは取引があったことがわかった。
三年前に叔父さんからあの病院を買い取ったと言っていたから、叔父さんの代の時には取引があったのだろう。
榊原は三年以上営業にいる先輩をつかまえて聞いてみた。
「練馬の倉田医院って知ってますか?」
「倉田? ああ、最近息子に代替わりした外科だったかな」
詳しくは知らないのか、息子だと勘違いしているようだ。
「ずいぶん派手な感じの若先生だったな。女タラシという感じの」
倉田は良い印象を持たれていないようだった。
叔父の代では使ってもらえていた薬を全部他社に乗り換えられてしまったのは若先生になってからだ、とその先輩は言った。
「あの若先生はちょっとクセ者らしいぞ」
「クセ者ってどういうことですか」
先輩社員は意味ありげにニヤっと笑うと声をひそめた。
「男もイケるクチらしい」
「男もって……」
榊原は一瞬意味がわからなかったが、その意味に気づき、思わずあ、と声をあげてしまった。
「お前なんかが行ったら、一発で食われるだろうな。噂では男も女も百戦錬磨らしいぞ、あの先生は」
一発で食われてませんよ、と言いたかったが、自分は食われようにも肝心な箇所を負傷しているのだ。
いくら倉田が百戦錬磨だとしても食う気にはならないよな、と苦笑する。
「ま、あそこは行ってもムダだと思うぞ。かなり前に行ってみたが、けんもホロロの扱いだったからな」
先輩社員は苦々しそうにそう言うと、それ以上思い出すことはない、というように話を打ち切った。
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