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第13話 正直に
「楓はなんだか突然甘えん坊になったな」
「素直になるってさっき決めた」
「それはいいことだな。正直に相手に伝える努力をしていたらたいていのことは乗り越えられる。お前、最近仕事はうまくいってるのか?」
榊原は胸がチクリと痛む。まだ倉田に正直に伝えていないことがあるのを思い出した。
聞かれたら本当のことを言おうと思っていたのだが、倉田がそれほど仕事のことに触れてこなかったので言いそびれている。
だけど今はそんな話でこの甘い雰囲気を壊したくない。
「大丈夫。最近は好調」
「そうか、良かったな。最初の頃は仕事でかなりストレスを抱えているように見えたが、最近のお前は元気になってきたな。笑顔が増えてきた」
倉田は自分のことをよく見てくれている。
こんなに誰かに気にかけられたのも、優しくされたのも榊原は初めてだった。
女性と付き合うといつも男のほうが守ってやらなければと気負ってしまう。
榊原は過去に女性の方から付き合って欲しいと言われて付き合ったのに、その内に振られてしまったり自然消滅してしまったという経験が何度かあった。
所詮外見だけしか見てもらえてなかったのだろうと思う。
俺は女に生まれた方が良かったのかな、と榊原は倉田の腕の中でふと思ってしまった。
倉田のそばにいるといつも守られているようで、幸せを感じている自分がいる。
出会った頃は死んでしまいたいとすら思っていたのに。
「俺……医者なんか信用しないと言ったの、取り消します」
「そんなこと覚えていたのか。あれは仕方ないだろう」
「俺、医者からまともに人間扱いされたの、倉田先生が初めてだ」
「また出たな。楓の『初めて』が」
倉田はヨシヨシと榊原の頭をなでながら笑った。
「そんなこと言ってないでもう寝ろ」
「キス、したい」
「まだ俺を煽るのか」
困ったやつだ、と眉尻を下げながらも、倉田は上半身を起こし、榊原が満足するまでキスをしてやる。
「俺がいない時に他のヤツとエッチしないでよ。ヤるなら俺にして」
「ヤりたくなったら、お前がさっき咥えてたエロい顔でも思い出して抜くことにするか」
「うん、そうして」
「馬鹿なこと言ってないで、寝るぞ」
翌日、納品のために藤城会病院へ行くことになっていて、中川のところへ顔を出した。
特に中川に用事があるという訳ではないので、診察中の中川に挨拶だけして帰ろうとしたら話があるので待っていてくれ、と言う。
仕方がないので午前の外来が終わるまで待っていると、診察を終えた中川がコーヒーをおごるからと喫茶店へ誘われた。
どうやら他人に聞かれたくない話らしい。
「なあ、悪いけど、今週末またパーティーがあるんだ。また人数が足りないんだけど、お前行ってくれないか」
「またですか?」
中川の頼みなので出来ることなら引き受けたいのだが、その日の榊原は気が進まなかった。
「俺……それは無理です」
「なんでだよ。なんか用事でもあるのか」
適当に嘘の用事を言って断ろうかとも思ったが、それだとまた別の日に誘われるかもしれない。
なにより、榊原は誰かに嘘をつく、ということに嫌気がさしていた。
自分を偽りたくないという強い気持ちが、中川の頼みを断る、という今までにない行動をとらせていた。
「俺……やっぱり嘘つくの苦手なんです。前回参加した時に嘘をついた相手に心苦しい思いをしたから」
「んな深刻に考えることないじゃん。どうせその時限りなんだしさ」
「違う。人との出会いってその時限りになるかどうかわからないじゃないか。だから、最初から誰かに嘘なんてつきたくないんだ」
「なんだよ、お前ひょっとして前のパーティーで好きになった女でもいたのか?」
中川は訝しそうに榊原を嘲笑した。
「そうじゃないけど、とにかく他の頼みならともかく、パーティーは勘弁して下さい」
榊原は強い語調で言うと、伝票を掴んで立ち上がろうとした。
「おい、待てよ。お前、俺から注文なくなったら困るんだろう?」
中川はニヤっと笑い、榊原にはどうせ逆らえないだろうというような表情を浮かべている。
以前の榊原ならここで諦めて言うことを聞いただろう。だけど今回は違った。
俺はもうこれ以上自分の気持ちに嘘はつきたくないんだ。正直に生きようと、決めた。
それでうまくいかない人間関係や仕事になど未練はない。
「俺、今まで中川の頼みなら何でも聞いてきた。でも、もう出来ない。嘘や利害だけの人間関係にはうんざりしたんだ。注文なら断ってくれてもいい」
榊原は中川の目をしっかりと見て、自分の言いたいことを言い、喫茶店を後にした。
中川は『そうかよ』とふて腐れたように言っただけで、榊原を追いかけてくる様子はない。
言い過ぎたかな……とも思った。
中川にそれほど悪意がないのはわかっている。
同級生だと思えば聞いてやれないほどの頼み事でもない。
だけど何かと引き換えに注文を得る、というのが嫌だった。
結局身体をはっていることに違いはない。
やっぱり俺はこの仕事には向いてない、近い内に辞めようと思った。
けして後ろ向きな気持ちでそう思ったのではなく、もっとやりがいのある仕事を他に見つけたいと思っていた。
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