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 帰宅後、山吹はシャワーを浴びていた。……兼、本日の一人反省会中だ。  今日のデートはただ、桃枝を試したかっただけ。楽しむつもりも、楽しませるつもりもなかった。  それなのに……。 「──『いい思い出』か」  贈られた言葉を呟き、山吹は目を閉じる。それから拳を作って、山吹は自身の平らな胸を押した。  そうしたところで、湧き出た感情は潰れない。無論、押し出されもしなかった。 「なんでボク、こんなに……ッ」  胸が、苦しい。物理的に圧迫をしているからとか、そんな理由ではなく……。 「──なんで、喜ぶんだよ……ッ。ボクは、そんなつもりじゃなかったのに……なんで、怒らないんだよ……ッ!」  内心で、なにを期待していたのか。ようやく、山吹は期待する。  ──桃枝の恋情が【勘違い】であることを、願っていたのだと。夢から醒めてしまえと、ただそれだけの攻撃的な気持ちをぶつけていただけだったのだ。  やるせなさから力を失い、山吹はその場にしゃがみ込み、誰に言うでもなく八つ当たりのように呟く。 「なんで、ボクなんかのことを好きになるんだよ……っ。誰かに好きになってもらえるような、そんな高尚な人間じゃ、ボクはないのに……ッ!」  惨めで、やるせない。嗚咽のように漏れ出た本音が、頭上から降り注ぐ湯にドロリと溶けていく。  山吹は、期待していた。知らない感情や高揚感を得られるかもしれないと、確かに桃枝の告白に対して期待していたのだ。  だが、結果はこのザマ。桃枝の真っ直ぐで【優しい想い】を目の当たりにすればするほど、汚れた自分が惨めに思えてくるだけ。……なにも、楽しい気持ちにはなれなかった。  山吹はそっと、前を見る。鏡に映る、己の──。 「愛なわけが、ないんだよ……ッ。課長の【それ】が、愛なわけがないんだから……ッ」  鎖骨の下に、数個の痕。  ──父親が押し付けた煙草による火傷の痕を見て、山吹は奥歯を噛み締めた。 「──【愛】は、暴力と苦痛で証明するものだ。……そう、父さんが言っていたんだから……ッ」  バンッ、と。力任せに、浴室にある鏡を叩く。  そうしたところで、映る体はなにも変わらない。鏡には映らない山吹の心象だって、なにも変わらなかった。  桃枝からの愛を、蹴散らしたかったのかもしれない。ほんの少し理解を示されただけで、浮ついているだけだと。その相手が【たまたま山吹だったのだ】と、山吹は思い込みたかった。  だが、認めるしかない。……桃枝は【山吹だから】好きになったのだ、と。  桃枝が山吹に向ける愛情は、器用ではないが純真で、真っ直ぐなもの。どれだけかわそうとしても、見ないふりをしようとしても。認めざるを得ないほど、桃枝からの想いは眩く輝いていた。  黒く濁り、思い違いであればと。化けの皮を剥いで『それ見たことか』と笑えたら、それで今日という日は最高にハッピーなものとなったはずなのに……。 「……惨め、だ……ッ」  結局、完敗で惨敗。見たくもない綺麗なものを何度も見せつけられ、その眩さによって自らの醜さを露呈させられただけだった。 「明日から、どうしよう。……恋なんて、分かんないよ……ッ。暴力の無い愛なんて、そんなもの信じたくないのに……ッ」  虚しく呟くも、音は消える。  取り残された山吹は一人、シャワーを浴びながら蹲るしかできなかった。 2章【知るは一滴に過ぎず、知らぬは大海の如し】 了

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