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 山吹が言った通り、本日の管理課は妙に浮ついていた。  就業中に私語が多くても、注意する者はいない。作業効率としては悪くなっているが、課内の雰囲気はいつもより柔らかかった。  少し意外だったのは、職員が持つ桃枝への意識だ。てっきり山吹は、全員が全員、桃枝のことを嫌っていると思っていた。  しかし驚くことに、中には桃枝のことを心配する職員もいたのだ。 「そう言えば桃枝課長って、確か一人暮らしだったよな?」 「そうそう。ヤッパリ、ちょっと心配だよね」 「実家も近くなかったはずだし、しかもあの人、看病してくれる彼女とか絶対にいないじゃん?」 「確かにいなさそ~っ」  散々な言われようではあるが、事実だった。桃枝には看病をしてくれるような彼女なんて、いない。  ……ついでに言うのであれば、看病をする気がある彼氏もいなかった。書類を運んでいた山吹は、うっかり先輩たちの話を立ち聞きしてしまう。 「なんのお話ですか?」 「あっ、ブッキー。いや、桃枝課長の話だよ」 「課長って、絶対に彼女いないよね~って。私も、課長みたいなパワハラ三昧で怖い彼氏は嫌だけど」 「はぁ、なるほど」  申し訳ないが、今の山吹は同意してしまいそうになっていた。そろそろ昼休憩になる時間だが、山吹は桃枝の愚行を赦していない。  もしかすると、山吹が出勤してから伝えようとしたのか。そう思い、桃枝からのメッセージを待ってはみたのだが……。結果は、不発。自画自賛をする山吹からのメッセージで、やり取りは終わっている。  現状を知って、ようやく山吹は納得した。山吹の自画自賛メッセージに対して桃枝が返事をしなかったのは、桃枝が今日の山吹を見られないからだ。どう返信をするにしても、嘘を吐くか真実を伝えるかの二択しかないのだから。  桃枝は、嘘を嫌う。ならば『風邪を引いていて会えない』といった主旨の返信しかできなくなるわけだが、是が非でも山吹に自身の体調不良を伝えたくないらしい。考えれば考えるほど、山吹にとっては腹立たしい話だ。  書類をデスクの上に置き、山吹は笑みを浮かべる。 「課長のことですし、一人でどうにかするんじゃないですか? きっと、人に頼るのとか嫌いでしょうし」  だから、仮とは言え恋人関係である山吹に病欠を伝えなかったのだ。ゆえにこの発言は完全なる嫌味なのだが、周りは当然、気付かない。 「でもさ、ヤッパリ憧れない? 恋人に看病してもらうっていう、王道でベタで定番なシチュとかさ?」 「お粥をあーんってしてあげたり? あははっ! 桃枝課長に限ってそれはないでしょ~っ!」  話は、おかしな方向へと進んでいく。山吹は小首を傾げ、先輩たちの話を聴く。 「恋人が、看病? 王道で、ベタで、定番? ……そういうものですか?」 「定番中のド定番だろ~! 彼女がいるなら憧れるシチュエーションだっつの!」 「あぁ~っ、私も彼氏にそんなことしてあげたぁ~いっ」 「……ふぅ~ん?」  あまり、ピンとこない。相手に風邪を移す危険性があるというのに『看病に来てほしい』と思うのは、果たして本当に【愛】なのか。……いや、だからこそ【愛】なのかもしれないが。どうにも、しっくりこない。  そもそも、体調不良ということはもれなく【弱っている状態】ということ。無様極まりない哀れで情けない姿を、なぜ恋人にわざわざ晒したいのか。 「確かに、健康な人が一人でもいてくれたら助かりますよね。家事とか、そういうのを頼めますし」  などとは、言ってみたが。やはりなにをどう考えてみても、山吹にはピンとこなかった。

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