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腕を掴む力が、思いの外、強い。どれだけ桃枝が必死なのか、文字通り痛いほど伝わってきた。
力強く腕を掴まれる中、内心で、山吹は確信する。
「誰も中にいないっつの! そうじゃなくて、お前に風邪が移るかもしれねぇって意味だ! 変な勘違いするな!」
勝った、と。慌てる桃枝をようやく見上げてから、山吹は勝利を確信しながら笑ってみせた。
「なんだ、そうだったんですね。だったら問題ないですよね、お邪魔します」
「だから駄目だって言って──」
「くしゅんっ! ……うぅ~、寒い。ここにいる方が風邪を引きそうです。……くしゅっ!」
「……ッ。あぁ、クソッ!」
単純──もとい、単純だ。どこまでいっても、桃枝は単純すぎる。それ以外の形容詞が思い浮かばないほどだ。桃枝は山吹の腕を引き、部屋へ入るよう促したのだから。
なにも言われないまま、山吹は中へと通される。念のため玄関に並べられた靴を見てみたが……案の定、桃枝以外の人物が履いていると思しき靴はなかった。
黙って歩く桃枝に、山吹は素直について行く。すると、おそらくリビングへと通されたらしい。桃枝はすぐに、置いてあった箱からティッシュを引き抜いた。
「ほら、ティッシュ」
「ありがとうございます。さっきのくしゃみは演技なんですけどね」
「この性悪が……ッ」
だが、入ってしまえばこっちのものだ。山吹はティッシュを受け取り、サラリとネタばらしをする。
通されたリビングは、なんとも桃枝らしい内装だ。シンプルで、物が少ない。その中でも並べられた家具には統一感があり、少なからずこだわりを持ってコーディネートをしたらしいという桃枝の考えは伝わってきた。
桃枝はソファに座った後、乱暴な手つきで自分の頭を掻き始める。
「っつぅか、お前さ。俺が渡したマフラーはどうしたんだよ。好みじゃなかったなら謝るが、せめてこういう時くらいは使えよ」
「もうちょっとだけ部屋に飾っておきたいんです。初めてのクリスマスプレゼントだから、もったいなくて」
「馬鹿かよ。冬が終わるぞ」
しかし、嬉しそうだ。それが悔しいような、照れくさいような。
来て早々追い払われそうになり、かと思えば山吹の狙っていない部分で喜ばれた。なんとなく桃枝の態度が面白くなくて、山吹は咄嗟に、小さな八つ当たりをしてしまう。
「それにしても、課長? さっきのボクを掴む握力は、なかなか好ましい強引さでしたよ。今後も、じゃんじゃんボクに痛い思いをさせてくださいね?」
「ッ! 悪かった!」
想像以上に凹まれ、想定していたよりも早く謝られた。……これでは、虐め甲斐がない。山吹は小さく息を吐き、ティッシュをゴミ箱に捨てた。
「……お前、なんで来たんだよ」
桃枝が、おかしなことを口にする。当然、山吹の答えは決まっていた。
「看病ですよ」
答えると同時に、山吹は桃枝が座っているソファの正面にあるテーブルの上に買い物袋を置く。桃枝が視線を買い物袋に移すと、すぐに山吹は中から【看病らしい食べ物】として買ってきたゼリーを取り出した。
「かん、びょう」
「ご存知ない単語でしたか?」
「お前の方こそ、そんな発想があったことに驚きだ」
「わぁ、素直な感想。腹立たしいですね」
「なんでだよ」
さすが、課内で『パワハラ上司』というレッテルをほしいままにしている男だ。さすがの【桃枝専用翻訳機】という肩書きを持つ山吹も、今の発言には腹を立てかけてしまった。
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