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 ようやくベッドから降り、軽い朝食を終えた後。 「では、お邪魔しました。もしも体調が悪化しましたら、すぐに連絡してくださいねっ。お尻にネギを刺してあげますからっ」 「その治療法は確実に間違ってるからするなよ」  パーカーとラフなズボンに着替えた山吹は荷物をまとめ、帰り支度を済ませていた。  ちなみに、ナース服並びに紐パンは山吹の鞄の中だ。『置いていきましょうか』と山吹は提案したのだが、真っ赤になった桃枝から断固として拒否されてしまった。……今度また、こっそり服の下に着てあげよう、と。山吹が企んでいることにも、気付かずに。  挨拶を済ませた山吹は、すぐに玄関へ向かおうとする。 「山吹、ちょっと待て」  その前に、桃枝が山吹を呼び止めた。 「送っていく。……あと、これ。ここまでの電車代とか、食費とかだ」  呼び止められた山吹は振り返ると同時に、ギョッとする。電車代や食費だとしても、驚愕的な金額を桃枝が手にしていたからだ。 「えっ、いいですよ。やめてください、困ります。ボクが勝手にしたことなのに、どうして課長がお金を出すんですか」 「俺のためにしてくれたことだからだろ」 「さも『正当な理由です』みたいな態度はやめてください。要らないです、ホントに困ります。あと、送るのも結構です。電車で帰れますから、課長はゆっくり休んでください」 「もう治った。いいから、金と車を受け取れって」 「なんて強情……!」  財布の中に入っていたと思しきお札を押し付けられるも、山吹は必死に押し返す。家事代行サービスを一日雇ったって、そこまでの金額は要求されないだろう。  このままでは、貢がれてしまう。山吹はお札を押し返しながら、必死に思考を巡らせた。 「えっと、じゃあ、送るのだけお願いします。それだけで──それがいいんです」 「なんだよ。嬉しくないのか」  山吹の返事を聴いて、桃枝が落ち込んでいる……気が、する。  なぜ最後まで強情でいてくれないのか。そうしょげられてしまうと、まるで悪いことをしているような気持ちになってしまう。 「お金は困ります。でも、送ってもらえるのは助かります」  胡乱気な目を向けている桃枝は、どうやら山吹の言葉を信じていないらしい。仕方なく、山吹は本音を口にした。 「こう言うと課長が気を遣うと思ったので言いたくなかったのですが。……ボク、電車が苦手なんです。だから、車で送ってもらえると助かります。ホントです」 「お前、なんでそういうことを先に言わねぇんだよ」 「電車が苦手なんて、言いたくなかったからですよ。大人なくせに、カッコ悪いじゃないですか」 「そうか? 乗り物が苦手な奴なんて、大人でもいるだろ」 「ボクのは少し、理由が違うんです」  フイッと視線を外した山吹を見て、なにかに気付いたのだろう。桃枝はそれ以上、理由を追求しなかった。  それでも山吹は、一度口を開くと、次から次へと言葉が溢れてしまった。 「それに、昨日の夜だって。みっともなかったじゃ、ないですか。もう、大人なのに……」  山吹が言う『みっともない』とは、昨夜のこと。桃枝に、後ろからの抱擁を求めたことだ。 「お見舞いのロマンも分からないですし、課長が体調不良を教えてくれなかっただけで不機嫌になりました。それで、特に寝る前のボクはサイアクで……。ホント、情けないです。カッコ悪くて、ダサいです」  暴露したところで、なにが変わるわけでもない。事実として、山吹は情けない姿を何度も晒したのだ。  けれど、桃枝はいつだって変わらない。 「そんなことねぇよ」  何度だって、桃枝は山吹を赦し、認めるのだ。

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