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要領を得ない。普段以上に硬化した桃枝の表情は、言外にそう訴えていた。
山吹はチビチビとコーラを飲みながら、小首を傾げる。返事がこないことを不思議がっているのだろう。
桃枝が、投げられた問いの意味を理解すると、ほぼ同時。
「課長? ボク手作りのお弁当、欲しいですか?」
「欲しい」
「どのくらい欲しいですか?」
「くれないなら、明日の昼を抜くくらいには欲しい」
「合格ですっ」
よくは分からないが、合格したらしい。可愛い笑顔を贈られて見惚れかけるが、桃枝は慌てて我を連れ戻す。
「いや、なんの話だ。それよりも山吹、お前は苦手なくせになんで──」
「課長は食べ物のアレルギーとかありますか?」
「アレルギー? 特にないな」
「苦手な食べ物は?」
「あー……。……強いて言うなら、甘い玉子焼きだな」
「なるほど。だからいつも行く居酒屋さんの玉子焼きを一回食べて以降、二度と頼まなくなったんですね」
意外にも、桃枝のことをよく見ている。……いや、意外でもない。桃枝のことを見てくれていたからこそ、課内で山吹は【桃枝専用翻訳機】などと呼ばれるようになったのだ。
いや、しかし。『見てくれて嬉しい』などと、ほんのり喜んでいる場合ではない。桃枝は再度、話を戻そうとして……。
「明日、お弁当を作ってきますね。なので明日の午前中はお弁当を楽しみにしつつ、お仕事してくださいね」
「馬鹿言うな。既に楽しみだっつの」
「素晴らしいです、課長。満点の回答ですよっ」
「クソ、可愛い……ッ」
ヒラヒラと、山吹が空いた手を振った。反射的に振り返してしまいそうになったが、通路から話し声が聞こえ、なんとか耐える。柄ではないことをしなくて済んだことに、桃枝は安堵した。
事務所に、昼休憩を終えた部下たちが戻ってくる。二人きりだった事務所はすぐに賑やかなものとなり、普段の光景を形作った。
ふと、桃枝は視線を落とす。瞳に映ったのは、山吹から渡された缶コーヒーだ。
結局、山吹に気を遣われて終わってしまった。今度、なにかで埋め合わせをしなくては……。
「……ん?」
缶コーヒーを見つめていると、ひとつの疑問が浮かぶ。いったいいつ、山吹は『桃枝がコーラを貰って困っている』と気付いたのだろうか、と。
桃枝は山吹のことを好いているが、かと言って公私混同をするタイプでは断じてない。抱えていた業務を片付けた後にチラリと横顔を眺めることはあるが、それだけ。常日頃監視をするように見つめているわけではない。
そもそも『弁当を作る』という提案も、意図が分からないままだ。今日の山吹は、いつも以上に謎めいている。
……だが、しかし。
「桃枝課長、すみま──ひっ!」
「あァ? なんだよ。用事があるならサッサと言え」
「え、えとっ、あのっ。でっ、出直します……っ!」
書類を持った部下が一人、桃枝に声をかけた。しかし、桃枝の顔を見ると同時に逃げるように離れていく。……それも、そのはずだ。
今日も、自分にとって山吹は一等最高な男だ、と。そう再認識した桃枝の表情はなぜか、喜びに騒ぐ内心とは裏腹に……とてつもなく、厳しいものとなっていたのだから。
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