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 茶番によって約束を取り付けた山吹は、ニッコリと笑みを浮かべる。 「課長、好きな食べ物はありますか? なんでも言ってくださいっ」 『……しょっぱい玉子焼き』 「本当に甘い玉子焼きが嫌いなんですね」 『菓子って感じがして、どうにも受け入れがたいんだよ』  ちなみに山吹は、玉子焼きにさほどのこだわりはない。桃枝がしょっぱい派だと言うのならば合わせられる程度には、どっちだって良かった。  玉子焼きはスタメン入りさせようと決めつつ、山吹が他のオカズ候補を訊こうとすると……。 『いや、待て。お前、本当にいいのか?』  桃枝が、口を挟んできた。 『──毎日【他人】に弁当を作るなんて、正気とは思えねぇぞ』  さも、なんてことないように。桃枝は正論だと信じ切ったまま、そう言ったのだ。  ピクリと、山吹の指が跳ねる。きっと今、山吹の表情は硬いものとなっているだろう。そのくらい、無視できない言葉だったのだ。 「……それ、イヤです」 『それ? それって、なんだよ? 弁当か?』 「──課長から『他人』って言われるの、イヤです」  おそらく、桃枝も同じような反応をしたのだろう。向こう側で小さく、息を呑んだ気がした。 「言い直してください。……ボクが【誰に】お弁当を作るのが正気じゃない、というお話ですか?」  なんて、酷い話だろう。山吹は好意を寄せているわけでもないのに、桃枝から遠ざけられるのは許せないなんて。  スマホの向こうで、桃枝が困っている。これは決して愉悦を求めての翻弄ではないのだが、止めてあげられそうにはない。 『──だから、つまり。……彼氏、に。弁当を作るのは、お前にとって苦じゃねぇのか……?』  こう言われて、なぜ、ホッとしているのか。自分の気持ちに名前を付けられないまま、山吹は薄く口角を上げた。 「変な課長ですね。恋人にお弁当を作ることのどこがおかしいんですか?」 『お前……。……本気で、卑怯な奴だよな』 「えぇ、そうです。ボクはズルくて、卑怯で、悪い男ですよ。だって、課長相手に恋情を持っていないのに、課長に言い直しをさせるような男ですからね。課長のお言葉を借りるなら『クソガキ』ですね」 『なんだよ、自覚があるのか。余計にたちが悪いな』  スマホを、握り直す。 「嫌いに、なっちゃいましたか?」  そう訊ねる口が、どうして震えたのか。その理由も、山吹には分からない。山吹は思わず、俯いてしまう。  すると、ため息が聞こえた。 『なるわけねぇだろ、馬鹿ガキが。……正直に言うと、だ。お前の弁当が貰えると分かった今、俺のテンションは信じられないほど上がったぞ。社会人になって、四月がこんなに楽しみだと思えたのは初めてだ』 「ホントですか?」 『俺は嘘が嫌いだ。加えて、見え透いた世辞も好きじゃねぇ。どっちも、反吐が出る』  つまり、本心。山吹は堪らず、笑みを浮かべてしまった。 「それは、ボクのモチベーションも上がりますね。せっかくですから、カワイイキャラ弁でも作りましょうか? 課長、好きなキャラクターとかいます?」 『それはやめてくれ。見られたら困る』 「そうですか。桜でんぶでハートとか、イヤですか……」 『──馬鹿ガキが。それは是非とも頼みてぇわ』 「──課長のそういう素直なところ、とてもいいと思います」  自分が狡くて卑怯で、悪い男なのは百も承知。山吹は、自分の人間性をきちんと理解していた。  それでも、桃枝のそばに置いてほしいなんて。……自嘲気味に笑いながら、山吹は小さな罪悪感を押し殺した。

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