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果たして山吹はその夜、どのくらいの時間、ネクタイと対峙していたのだろうか。
「課長のこと、笑えなくなっちゃったなぁ……」
そう呟く山吹の声は、あまりにも枯れている。誰がどう聞いても『おかしい』と思うほどに。
確かに、昨晩の室温は低かった。その上、必要以上に体を丁寧に洗ったこともあり浴室の滞在時間が長く、大して体を温めもせずに冷たい床へ座り続けて……。
──簡潔に述べると、山吹は風邪を引いたのであった。
「バカじゃん、バカじゃん……。うわ、恥ずかしい……っ。こんなの、遠足前の子供じゃん……っ」
なにかを楽しみにした結果、体調管理を疎かにする。こんなこと、社会人としてあってはならない失態だ。父親が生きていればきっと、平手打ちなどでは済まない話だろう。
毛布に包まりながら、山吹は自責の念に駆られる。この失態は墓場まで持っていこうと固く誓いながら、目を閉じた。
幸いなことに、今日は休み。土曜日である今日だけではなく明日も寝ていれば、月曜日には回復するだろう。問題はない。
だが、困ったことがひとつ。それはここ最近、桃枝が特段の用事もなくゲリラ的に電話をかけてくることだ。
休みの日の夜、桃枝は電話をかけてくるようになった。山吹は今のところ、一度だって応じなかったことはない。
けれど毎回、応じる必要はないのだ。たまたま今までは、電話がかかってきた時間に予定がなかっただけ。仮に今日通話に誘われても、無視すればいい。
「毎週ってわけじゃないし、今日かかってくる確証もないよね」
熱が出ただけなら、電話で不調が暴かれることもなかったのに。今回、山吹の体調不良に発熱はなく、代わりに鼻詰まりと喉の不調が顕著だった。これでは、声を聞かれてしまえば一発で現状を知られてしまう。
時刻は、昼過ぎ。もしも電話がかかってくるとしても、まだ時間はあるだろう。
「……よし、寝よう」
目を閉じ、山吹はなんとか快復に努めようとした。単純に、不調が続くと自分が困るから。元気で健康なことに、越したことはない。そう、胸の中で何度も唱えて……。
「……って。誰に対しての言い訳をしてるんだろ、ボク」
静かな部屋に、声が溶ける。山吹はそっと目を開き、瞳だけで部屋を見回す。
目に映るのは、痛々しい思い出の名残。耳に入るのは、静寂の音だけ。
いつも通りの、部屋。いつも通りの、休日。……そのはず、なのに。
「バカみたい。……早く、寝よう」
妙に感傷的な自分に、反吐が出る。山吹は再度目を閉じ、体を休めようと意識を手放しかけて……。
──突然、ビクリと体を震わせた。
「えっ? ……ウソ、なんで……っ?」
体が震えた理由は、シンプル。【驚愕】だ。
山吹のスマホが、震え始めた。それは定期的に送られるキャンペーンのメールでも、ましてやお得な情報を伝えるメッセージでもなく……。
──何度も何度も、執拗に震えているのは。……誰かが山吹に、電話をかけているからだ。
ベッドの上に置いていたスマホの画面には、発信者の名前が映されている。当然、山吹に電話をかけてくる相手は限られていて……。
「どうしよう……っ」
……案の定。
桃枝からの着信を、山吹のスマホは必死に訴えていた。
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