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 まさか、迷うことなく訊ねられるとは。山吹は咄嗟に言い訳が思いつかず、時間稼ぎのように「あー……」と、返事にならない相槌を打ってしまった。 「えぇっと……。……カラオケに行って、喉を潰しました」 『冗談ぬかせ。どう聞いても鼻声だぞ』 「なんと言いますか、そういう感じの潰し方ですね」 『念のため言っておくが、俺は【嘘】が嫌いだ』 「あははっ。前にも言っていましたよね、それ」  普段の桃枝とは違い、今日の桃枝はやけに鋭い。それとも、そこまで露骨な鼻声なのだろうか。山吹は戸惑いつつ、曖昧に笑う。  その態度が、余計気に食わなかったのだろう。桃枝はため息を吐いた後、鋭い口調で訊ねた。 『もういい、単刀直入に訊くぞ。……まさかとは思うが、風邪なんか引いてないよな?』  こんなに真っ直ぐ、本題を切り込んでくるとは。思わず山吹は、鼻を啜ってしまった。  咄嗟の行動に山吹が『しまった』と思ったところで、遅い。スマホからは、桃枝が息を呑んだような音が聞こえたのだから。 『お前……ッ。なんで言わないんだよ!』 「自分のことを棚に上げないでくださいよ」 『それは今関係ないだろ!』 「全然あると思いますけど」  まさか、他でもない桃枝から怒られるとは。数週間前の桃枝にこのことを話せば、どんな反応をするだろうか。  ……なんて、現実逃避をしている場合ではない。ここは穏便に桃枝を宥め、どうにか上手に話をまとめなくては。山吹は寝転がったまま、努めて冷静に返事を紡ぐ。 「別に、平気ですよ。声に異常があるだけで、熱はありません。症状は軽いので、土日で治せます。明後日からの仕事に支障は出しません。だから報告しませんでした。理由は以上です」 『そういう業務的な問題じゃない! お前、独り暮らしだろ! なんで俺を頼らないんだよ!』 「ブーメラン発言をしている自覚はありますか、課長?」  好きで風邪を引いたわけでもないのに、酷い話だ。何度でも言うが、数週間前の自分を省みてから怒鳴ってほしい。切実に、山吹はそう思った。  このままでは、桃枝がなにを言い出すか分からない。山吹は自身の手をキュッと握り、冷静に言葉を返した。 「風邪は一人でどうにかするものです。誰かに頼るなんてこと、しませんよ」 『お前、まだこの間の──』 「あっ。ごめんなさい、すみません。今のは、以前の課長が取った態度についての嫌味とか、課長のことを責めたとかではなくて」  どうにか、分かってもらおう。山吹は鼻を啜ってから、静かに告げる。 「風邪を引いたとき、誰かに頼るのはダメだって。山吹家の家訓、みたいな。……だから、ボクには【頼る】という選択肢はありません。頼るといつも、父さんはボクの頭を殴ったからダメなんです。父さんが教えてくれたから、ボクは頼りません。それが、男です。それが、大人ですから。ボクが頼ったら、人にメーワクだって……そう、父さんは言っていました」 『お前はまた、そうやって……ッ』  桃枝は、続きを言わない。今の言葉を否定してしまえば、弱っている山吹をさらに傷つけると思ったのだろう。  優しい男だ。自分勝手な山吹には、もったいなさすぎるほどに……。 「弱音を吐いて、すみませんでした。とにもかくにも、ボクは平気ですよ。熱もないですし、大きな症状は鼻くらいなので」 『だからって──』 「今までだって、一人でどうにかしてきたんです。課長の手を煩わせるつもりはありませんので、ご安心ください。ボクは、大丈夫です。すこぶる元気ですので」  スマホに向けて、手を伸ばす。 「お説教なら、別の日にしていただけますか。……ボクの声が聞けたから、もういいですよね。切ります」 『ちょっと待て、山吹──』 「今日と明日の用事、なにかは分かりませんが楽しんでくださいね。それでは」 『オイ! やま──』  プツッ、と。繋がっていたものが、切れる音。山吹が桃枝との通話を終えた音が、短く鳴った。  

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