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反射的に扉を閉めようとするも、判断が遅い。扉の向こうに立っていた男が山吹よりも先に、玄関扉を掴んだのだ。
「人の顔を見て『げっ』はないだろ」
宅配のお兄さんでもなく、妙な勧誘活動をしに来た招かれざる客でもない。
「我ながら、エスプリの効いた反応だと思ったのですが」
「どこがだ、馬鹿ガキ。……いや、今は『風邪っぴき』の方が適切か」
「はは、笑えます」
桃枝だ。桃枝が、立っている。山吹は乾いた笑いをした後、壁にもたれかかった。
いっそ、邪教の勧誘をされた方がマシだったかもしれない。山吹は自嘲気味に笑いつつも、桃枝と目を合わせなかった。
「お仕事の話でしたら、明後日にしていただけますか。お急ぎでしたら、メッセージでお願いします」
「あぁ、分かった。仕事の話ならそうしてやるよ。けど、仕事の話じゃねぇなら直接でいいってことだろ」
「今日はやけに強引ですね。普段からそうだと、ステキなのですが」
おかしい。立っていると、頭がクラクラと揺れる。まさか、熱が出てきたのだろうか。山吹は壁にもたれたまま、それでも笑みを浮かべ続けた。
「なんで、来たんですか。ボク、課長に『大丈夫です』ってお伝えしましたよね」
このまま長話をするわけにはいかない。マスクをせずに出てきた山吹の風邪を、万が一にでも桃枝に移したくはないのだ。
「帰ってください。メーワクです」
「それを言われると、弱いな。だが、今日に限っては無理だ。中に入れてくれ」
「イヤです。帰ってください」
「なら、平行線だな。悪いが、お前が折れてくれ」
いつものヘタレさはどこへ行ったのか。なんて強引で、勝手なのだろう。
上がっているかもしれない熱のせいなのか、はたまた焦燥感からか。視界が揺れ、立っているのも苦痛で。山吹は思わず、語気を荒げてしまった。
「お願いだから、早く帰ってください……ッ。課長にこれ以上、メーワクをかけたくないんです……ッ!」
顔を上げ、桃枝を睨む。山吹にとっては、渾身の威嚇だった。
「風邪は、一人でどうにかするものです。大人の男なら、そうでないと──父さんの子供だから、一人でどうにかしないとダメなんです。じゃないと、そうしないと……父さんの願いを、裏切ってしまいます」
「今ここに、お前の父親はいない。それに、俺が勝手に押しかけただけだ。仮にいたとしても、話せば分かってくれるだろ。論戦になっても、勝てるよう努めるさ」
やめて、と。山吹は反射的に、縋りつきそうになった。
優しさは、要らない。優しくされていい権利が、山吹にはないのだ。
山吹は昨晩、確かに桃枝を怒らせた。そのことも謝れていないのに、迷惑をかけたくない。
──なによりも、風邪を引いた事実を桃枝に叱られたら。……父親と同じことをされたら、どうしようと。そんな保身ばかりが、山吹の胸を苛んだ。
「ボクは、大丈夫です。大丈夫ですから、帰ってください……っ」
「山吹」
玄関扉を掴んでいた桃枝の手が、さらに扉を大きく開く。そのまま桃枝は、開いた扉からアパートの中に入ってきた。
「っ! 勝手に入らな──」
押し飛ばしてしまおうかと、山吹は咄嗟に考える。それと同時に山吹は、壁に預けていた体重を足へと戻した。
……だが、山吹の行動はいつだって桃枝より遅くて。
「──俺はな、山吹。お前の『大丈夫』が聞きたいわけじゃねぇんだよ」
扉が閉まるのと、ほぼ同時。
フラつく山吹の体を、桃枝が強く抱き締めた。
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