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桃枝が、驚いている。なぜそんな顔をされているのか、山吹には当然ながら、分からない。
「それ、本気で言ってるのか?」
だと言うのに、桃枝の問い掛けはこうだ。まるで『山吹なら分かって当然だ』と言っているようではないか。
桃枝の手を離してから、山吹はそっと眉を顰めた。
「なんでこの状況で冗談を言うんですか。ボク、さすがにそこまで空気が読めなくはないですよ」
「そうかよ。なら、余計にたちが悪いな」
桃枝の表情が、強張ってから。
「──俺はお前に、何回『【仮の恋人】って言うな』っつった?」
返事を聴いて、ようやく。あの日の桃枝が取った行動の意味を、山吹は理解した。
咄嗟に、言葉が返せない。確かに、桃枝は何度もそう言っていたのだから。
知っていて、聴いていて。それなのに、山吹はあの日……確かに、桃枝へそう言ってしまった。
「……で、でもっ。ボクは課長とのオツキアイを、初日の段階で『【仮】です』とお伝えしたはずです」
「確かに言ったな」
「だから……だからボクは、事実を口にしただけです。課長はそれでいいと、了承してくれたじゃないですか」
なぜこんなにも、慌てているのか。桃枝を怒らせてしまったと理解していながら、山吹は浅ましくも『非がない』と主張したいのかもしれない。
「だから、ボクたちの関係は【仮】で正しいんです。事実を口にされて憤るなんて、そんなの……っ」
心の奥で、山吹が自身へと囁く。……それでも、桃枝が怒っているのは事実なのだ、と。
どうしたらいいのか分からず、焦りばかりが先行してしまい、山吹は妥当な返事ができない。なにを言っても、桃枝を怒らせてしまいそうだからだ。
怒らせたくはない。可能であれば、赦されたい。どこまでいっても保身ばかりの自分に、嫌気が差して──。
「で?」
「……えっ?」
「──なんでお前は、そこまで【仮】にこだわるんだよ」
【こだわり】ではなく、これは【事実】だ。桃枝の指摘は、間違っている。山吹はそう、主張しようとした。
「そ、れは……っ」
しかし、言葉が詰まってしまう。山吹は毛布の中で、拳を握った。
桃枝から、告白された日。お互いに【恋人関係】というものを理解していないからと言い、山吹は桃枝との関係を【仮】にした。
だが、今もその理由は適用されるのか。山吹は桃枝から視線を外し、考える。
最近の山吹は、どうだろう。分からないなりに、桃枝のことを恋人として扱おうとしていた。不可解な看病というロマンも、普段は作ろうともしないチョコを作って迎えたバレンタインも……。全て、桃枝を恋人として扱った結果ではないのか。
桃枝だって、同じはずだ。二人きりのときは山吹だけを特別扱いして、山吹のために変わろうとして……。山吹とは違ったやり方でも、考えていることは同じはず。
「ボクは……っ」
ここにきてようやく、山吹は自覚した。
桃枝の指摘は、間違ってなんかいない。山吹は執拗なほど、桃枝との関係に【仮】という言葉を付けるよう、こだわり続けていたのだ。……と。
その理由が、なんなのか。分かってはいるはずなのに、言えなくて。
握った拳が痛くて、上手に言葉を紡げない自分がもどかしいから。山吹の顔色は、徐々に悪くなっていく。
山吹の異変は当然、誤魔化せない。困惑する山吹を、桃枝は至近距離で見ているのだ。
また、怒らせてしまうかもしれない。もしかすると、今回こそ愛想を尽かされるかも。そうした焦りがまた、山吹の思考を掻き乱して──。
「怒らねぇように努める。だから、理由を言ってくれ」
桃枝の声が、山吹の焦燥感を消してくれた。
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