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桃枝を揶揄うことは、好きだ。小さな嫌がらせをして困らせることも、好きだった。嘘偽りなく、山吹の趣味と言っても過言ではない。
だが、違う。山吹は、桃枝を悲しませるようなことはしたくないのだ。
桃枝の手が、山吹の頬を撫でる。その手つきがどれだけ優しくても、今の桃枝を見ていると……どうしても山吹は、逃げられなかった。
「知ってるんだよ。お前がいつだって、善意に溢れた男だってことは。初めてお前が俺を飲みに誘った日だって、そうだっただろ。お前は【俺のために】俺を誘ってくれた。俺の駄目なところを、指摘するために」
「ボクはなにも、特別なことなんて……」
「普通は、できないだろ。面と向かって、相手の悪いところをハッキリ指摘するなんて。どれだけその指摘が事実だったとしても、言われた方からすると腹が立つ話だ。逆ギレされる可能性だってあるし、少なくとも関係性が悪化する確率が高い。だから、普通はできないんだよ」
「そんな、こと……っ」
美化だ。好意というフィルターがかかり、桃枝の中に在る【山吹緋花】という男が、美化されているだけ。……そう、言わなくてはいけないのに。
「だけど、お前は俺にしてくれた。お前は自分がどう思われるかよりも、俺が今後どう思われるかを優先してくれたんだ」
これは、桃枝が【山吹に好意を寄せる前の話】だ。好意という贔屓も、フィルターも、なにもかかっていない。
桃枝が抱く、素直な評価。山吹に対する、純粋な評価なのだ。
「俺は、そんなお前だから好きになった。『変わろう』と思うきっかけをくれたお前が隣にいてくれるなら、俺はこれからも頑張れる。より、自分を好きになれる。だから、俺の隣にはお前がいてほしい。……まぁ、これは個人的な我が儘だけどな」
以上が、山吹との関係性に【仮】を付けてほしくない、理由。桃枝にとって、山吹を【初めての相手】にしたい理由だ。
ここまで、ハッキリと気持ちを告げられて。今まで桃枝から向けられていた好意が、今まで以上に鮮明なものとなって、ようやく……。
「……そういうもの、ですか」
山吹は頬から、桃枝の手を引き剥がした。
「ボクはたぶん、課長がいなくてもボク自身が『必要だ』と感じれば、勝手に努力を続けます。そしてそれは、課長だけがダメなわけじゃないんです。ボクには、誰も要りません。ボクはずっと、独りでいいんです」
撫でることを拒絶され、言葉でも想いを突き返され。桃枝の眉間に、皺が刻まれる。
「……そうか。お前は、そうだよな」
「えぇ。……ですが」
ふと、桃枝は気付く。
「──課長が隣にいてくれた方が、ボクの毎日はきっと……絶対に、楽しいです。だからまだ、ボクは課長を手放せません」
頬から引き剥がされた手を、山吹が握ったままだ、と。
「……本当に、お前って奴は。狡い男だよ」
「ごめんなさい。ボクも、さすがにそう思います」
山吹の手が、遠慮がちに離れようとする。
しかしその手を、桃枝は『逃がさない』とでも言いたげに、握り返した。
「チョコは、本当に嬉しかった。わざわざ作ってくれて、ありがとな」
「いえ。……ごめんなさい、課長。ボク、せっかくのバレンタインなのにイヤなことを言ってしまって」
「別に、気にすんな。むしろ、俺こそ悪かった。俺の態度を受けて、お前がそこまで気に病んでいたとは思ってなかった」
「ごめんなさい……」
握られた手が、温かい。心の中に蔓延る不安を、溶かしてくれるかのように。
手を握られたまま、山吹は繋がった手を見つめて。……ポツリと、呟いた。
「──ボク、バレンタインの日。課長の喜ぶ顔を見たら……胸が、ポカポカしたんです」
きっと、桃枝にとって【狡い】言葉を。
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