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繋いだ桃枝の手が、ピクリと跳ねる。山吹の言葉を受けて、驚いた証拠だ。
「初めての感覚で、どうしていいのか分からなくて。それでわざと、逃げるようにムリヤリ別の話題を作ろうとして。……ホント、なんであんなに焦っちゃったんでしょう。ごめんなさい、課長……」
こんなこと、伝えたところで意味はない。桃枝を傷つけた事実は消えもせず、ましてや赦してもらえるほどの重要性もないのだ。
それでも伝えたのは、なぜなのか。山吹は桃枝に、なにかを求めているのかもしれない。
──信頼のためには先ず、自分から信頼を。山吹は随分と、この言葉に踊らされているらしい。
手を握ったまま、山吹は桃枝を見つめた。演技や打算ではなく、心底申し訳なさそうな目をして。
まるで、子犬のような目。ウルウルと揺れる瞳を見て、桃枝の耳はうっすらと赤くなったのだが。本人に果たして、自覚はあるのだろうか。
「それを、言われて。俺はいったい、どんな顔をしたらいいんだよ」
「どう、でしょう。そもそもボク、なんでこんなことを課長本人に打ち明けちゃったんでしょうか」
「俺に訊かれても、お前の真意なんて知らねぇよ」
迷惑かもしれない。ただただ桃枝を縛り、絡め取るだけの言葉だっただろうか。
それでも、山吹は……。
「──でも、引かないでくれます、よね? 課長はボクの……ホントのカレシ、なんですから」
卑怯な訊き方だと、分かっていながら。それでも山吹なりに、桃枝の言葉を『聴いている』と伝えるため、ハッキリと口にした。
望んでいた、忌々しい【仮】を除いた言葉。桃枝の顔が露骨なほど、それでいて瞬時に赤くなったのは、言うまでもなかった。
「今日の、お前……。本気で、狡いぞ……っ」
「風邪を引いて弱っていて、強く責め難いから……ですか?」
「そうじゃ、なくて。……そう言う部分もひっくるめて、全体的に狡いだろ。なんで分かんねぇんだよ……っ」
怒らせた……と言うよりは、困らせたのだろうか。桃枝は苦々しそうに表情を硬化させ、深くため息を吐いている。
しかしすぐに、桃枝は気を取り直したらしい。山吹の手をしっかりと握り直し、大きな瞳を真っ直ぐと見つめ返したのだから。
「引かねぇよ、馬鹿ガキ。俺はお前の恋人なんだから、俺を見てテンパッてくれたって言うなら……う、嬉しい、だろ。この、馬鹿ガキが……ッ」
だがやはり、平常通りまでは持ち直せていないようだ。すぐに顔が赤くなり、再度、山吹から顔を背けたのだから。
一生懸命で、必死。桃枝の姿が可笑しくて、けれどどこか可愛らしい。山吹は手を握り返し、クスクスと小さな笑みを浮かべる。
「ん、ふふっ。そんなに『バカ』って連呼しないでくださいよ。課長のバカ」
「お前、上司に向かってそういうこと言うかよ、普通」
「今は【上司と部下】じゃなくて【恋人同士】ですから、ちょっとくらいいいじゃないですか」
「うぐっ。……あぁ、クソッ。可愛いな、阿呆が……ッ!」
「あっ、酷いです。『バカ』を言い換えてもダメですよ、もうっ」
未だに山吹は、正しく【好意】というものを理解できていないのかもしれない。【仮】という単語を抜いた桃枝との関係性を、上手に説明すらできないだろう。
それでも、今だけは。繋いだ手の温もりに胸の奥がくすぐられても、桃枝の手つきが優しくても……。
少しくらい浸っていたって、許されるはずだ。山吹は笑みを浮かべたまま、桃枝の手を放そうとは思わなかった。
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