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 フワフワとした、温かい時間。こんなふうにこの部屋で笑い、胸がポカポカと温まったのは……果たして、いつ振りだろうか。そんな時間が、今まであったのかさえも思い出せない。  ただずっと、こうしていたい。今の山吹は、普段よりも確実に【素直】だった。 「あ、あぁ、そうだ。なにか、欲しいものとかあるか? 今ならまだ、どこの店も開いてるだろうし……なんでも買ってきてやるぞ」 「欲しい、もの……」  夕方よりも、夜に近い時間。桃枝の予定は気になるが、ここで先約を反故にするのは桃枝らしくない。桃枝はまだ時間に余裕があり、だからこそ買い出しに行くことを自ら提案しているのだろう。  夕食は、残したうどんを食べたらいい。薬もあり、日用品の買い出しをわざわざ頼むほどでもない。山吹は問いに対する答えを浮かべては消していき、最終的に……。 「なにも、要らないです。なにも要らないですから、もう少しだけそばにいてください」  桃枝の手を、放したくないと。そんな欲求を、口にした。  山吹は両手で、桃枝の手を握っている。どうしてこんなことをしてしまっているのかと自覚もないまま、それでも山吹は手を放さない。 「課長がボクから離れたいのでしたら、ムリにとは言いませんけど……」 「離れたくねぇっつの。いつだって物理的且つ精神的に近しい男でいたいに決まってるだろ」 「決まっていることなんですか、それって」  妙な叱られ方をされつつも、山吹は桃枝を見つめる。 「……ちなみに『近しい男』って、具体的にはどのくらいですか?」  他愛のない会話も、桃枝となら楽しい。初めて飲みに誘ったあの日から変わらず、山吹は桃枝との時間が気に入っているのだ。  この時間を、桃枝も気に入ってくれているだろうか。関係性があの頃と変わっていても、変わらずに……。山吹は桃枝を見つめたまま、特に意味もない質問をした。 「あまり具体的に考えてはいなかったんだが、そうだな……」  桃枝の、繋がれていない方の手。自由だった手が不意に、山吹の頬へと触れた。 「手を伸ばせば、届く距離。……これは、近すぎるか?」 「っ! ……そ、そう、ですね。近い、です」  手を握るのは平気でも、撫でられるのは未だに苦手。山吹は条件反射のように身を引き、握っていた手も咄嗟に放してしまった。 「それなら……名前を呼んで、届く距離」  相変わらずな山吹の反応にも、桃枝は気分を害さない。幾ばくか思うことがあったとしても、表には出さなかった。  素直に手を引っ込めて、ただただ眼差しを送っている。 「好きだ、山吹」  あまりにも、優しい瞳。胸にじんわりと染み入る優しい音に、山吹の胸は甘く締め付けられた。堪らず、山吹も口を開きかける。  ──ボクは、課長のことが。  咄嗟に飛び出そうになった言葉を、山吹が自覚するよりも先に……。 「──ところで、あまり気負わずに受け止めてほしいんだが。……お前の理論でいくなら、お前はまだ、俺のことが全く好きじゃないってことか?」  まるで、なんてことない雑談のように。今日の空の色を語るかのような緩さで、桃枝はそんなことを口にした。

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