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 桃枝自身から、そんなことを言われるなんて。山吹は目を丸くし、驚愕の色を隠すこともなく、桃枝を見つめた。 「……えっ? どうして、ですか?」 「は? いや『どうして』はおかしいだろ」  話題の選択を、間違えたかもしれない。そう思ったのか、桃枝はどことなく気まずそうな表情を浮かべながら、山吹に向けていた視線をそっと外す。 「その、なんだ。……俺はまだ、お前から、殴られたことがないからだ」  きっと、桃枝が想定していた返事は『イエス』か『ノー』だったに違いない。疑問に疑問で返されるなんてこと、予想していなかったのだ。  踏み込まれたくない部分を、踏み込むどころか踏み抜いてしまった。そのくらいの重みで受け止めているのか、桃枝の表情は硬い。  対する山吹は逆で、どことなく楽観的な様子だ。目を丸くしたまま、上体を起こすこともなくあっけらかんと──。 「えっ。いや、だってそんな【可哀想】なこと──」  答えかけた、刹那。 「──はっ?」 「──あっ」  桃枝が、怪訝そうな顔をした。桃枝が疑問を抱いたのと同時に、山吹も気付いたのだろう。  ──自分の発言がいかに狂っていたのか、と。  暴力と愛をイコールだと思い、そうであってほしいと縋ったのは山吹の方だ。だからこそ桃枝は気まずいと思っていながらも山吹の流儀を提示し、その上で好意を確認した。  しかし、今の発言はどうだろう。これでは、まるで……。  ──山吹の中で【愛】と【暴力】は、対極に……。 「……っ」  眉を寄せて、悲痛さを訴えるかのように表情が硬化している。山吹は一度、奥歯を強く噛み締めた。  なんてことを、口にしかけたのか。幸福そうに笑う母と、愛を紡ぎながら暴力を振るう父の姿。在りし日を思い返しながら、山吹はただただ表情を強張らせて……。 「そんな、こと。……愛ってものは、わざわざ言葉にして欲しがるものじゃないじゃないですかっ」  慣れたものだ、と。作り笑いをパッと浮かべながら、心のどこかで山吹は自身を嘲笑した。 「そんなふうに言われると、照れちゃいますよっ。仮に課長のことが好きだとしても、照れ屋さんなボクはアピールするのが恥ずかしくて、思うようにできないんです」  心無い言葉と、咄嗟に浮かべることができるほど作り慣れた笑み。愛らしい偶像を咄嗟に具現化した山吹を見て、桃枝は一度だけ口を開く。  だがすぐに、口を閉じて。……桃枝は、普段通りの硬い表情を作った。 「照れ屋なお前、か。可愛い響きだな」 「課長のヘンタイ」 「なんでだよ」  それ以上、桃枝は追及しない。山吹もあえて、話題を蒸し返そうとはしなかった。  毛布の中に手を引っ込めて、山吹は笑みを浮かべる。非の打ち所がない、完璧な笑顔だ。 「すみません、課長。カーテンを閉めるので、電気を点けてもらえますか? 垂れ下がっているヒモを引くだけでいいですから」 「あぁ、分かった。……一応確認なんだが、もう少しだけここにいてもいいか?」 「はい。課長のご予定に差し支えない範囲でしたら、ボクも課長ともう少しおしゃべりしたいです」  どうか、桃枝の目にもそう映っていてほしい。桃枝が見つめる山吹は、普段の能天気な明るい少年であってほしい、と。山吹は両親に対する罪悪感に圧し潰されかけながら、必死に願ってしまった。

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