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桃枝は難しい顔をしたまま、ジッと山吹を見ている。
「なにかに集中していないと、山吹に酷いことをしちまいそうなんだよ」
「酷い、こと? ……して、いいんですよ?」
「したくない」
「ボクはそういうの、嫌いじゃないですよ?」
「『そういうの』って……お前、なにか勘違いしてないか?」
どうやら、この表情は【憤り】らしい。桃枝の返事を受けて、山吹はそう解釈した。
あまりにも自業自得で、救いようがない理由。きっと桃枝は、山吹のだらしなさに呆れてしまったのだろう。
それなら、怒られたっていい。山吹自身だって、どうかと思うのだ。むしろ再発しないよう、原因に対しては叱ってもらいたいくらいだ。
……だが、山吹の解釈は間違いだった。
「こういうこと、だよ。お前はこういうの、嫌いだろ」
「……っ」
桃枝の手が、山吹の頭を優しく撫でたのだから。
「そんな可愛いこと、言うなよ。今のは絶対、お前が誘い込んだだろ。どう考えても罠だろうが」
「ワナ、って。なに言ってるんですか、バカ……っ」
そっと、山吹は身を引く。何度も繰り返したこのやり取りに耐性が付いたのか、桃枝は申し訳なさそうに手を放した。
「とにかく、だ。お前は、スキンシップが嫌いなんだろ? だからこれは、お前にとって【酷いこと】だ」
「嫌い、じゃ、なくて。……苦手、なんです」
桃枝は、山吹を甘やかしたい。大切にして、大事にして……ひたすら、壊れ物のように特別扱いをしたいのだ。
しかし、山吹はそれを受け入れられない。思えばその理由を、山吹は桃枝へ明確に伝えていなかった。
「思い出すんです。優しかった母さんを。……思い出して、しまうんです。優しかった、父さんを」
部屋を眺めるだけで、不思議なことに何年も前の光景が容易く思い出せる。山吹にとってこの部屋で過ごした家族の思い出は、それほどまでに鮮烈で痛烈なものだった。
「母さんが死ぬ前までの父さんは、誰が見ても優しい父親だったと思います。ボクのことを抱っこしてくれて、頭を撫でてくれて、いつも『緋花はいい子だな』って、言ってくれました」
「そう、だったのか……」
「はい。課長の相槌通り、それは過去形です。……母さんが死んでから、父さんは変わってしまいました」
桃枝を見つめることもできずに、山吹は傷付いた部屋を眺める。
「ボクの面倒を、父さんが全部見なくちゃいけなくなったんです。母さんに甘えてばかりだったボクを立派な大人にするためには、厳しくしないといけなかったんです。ボクは甘ったれで、ワガママばっかりで、サンタさんが一度も来てくれないくらい【いい子】とはかけ離れた、悪い子だったので……」
桃枝に優しくされると、どうしていいのか分からない。その理由は、確かに父親と過ごした生活が強い。
「父さんには、感謝しています。家事だってできるようになりましたし、人との付き合い方も冷静に捉えられるようになりました。父さんの教育が間違っていたとは、思えません」
それでも、桃枝の解釈は少し間違っている。決して、山吹は被虐性愛者ではないのだ。
「だけどヤッパリ、ボクは悪い子だったから……」
甘やかされるのも、好意を伝えられるのも、優しくしてもらうのも。それらが嫌いな人間なんて、きっといない。
それでも。……ただ、山吹は。
「──ホントは、寂しかったんです」
与えられる優しさは、有限だと。そう、知ってしまっただけなのだ。
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