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「──お前、あぁいうこと職場で言うなよ。どうにかなるだろ、馬鹿ガキが」  時間は流れ、終業後。いつもの居酒屋にて、桃枝と山吹は絶賛、本日の振り返り中だ。  苦悶に表情を歪ませた桃枝を眺めつつ、ウーロン茶が注がれたグラスを両手で持ちながら、山吹は小首を傾げる。 「『あぁいうこと』って、なんですか?」 「いや、だから、その。……う、嬉しい、とか。あざとい笑い方、とか」 「あ~……。課長はそういう言動、お嫌いですか?」 「好きだから困ってんだろ、馬鹿が。あと、両手でグラスを持って小首を傾げるのもやめろ。可愛いんだよ、クソッ」 「よく分かりませんが、今の課長は『大喜びでとってもハッピー』って解釈でよろしいですかね」 「間違いではねぇけど、論点はそこじゃねぇ」  山吹が絶好調なら、桃枝も絶好調なようだ。言葉と態度は冷たいが、山吹の指摘通り、桃枝はとても喜んでいる。  最近──具体的には、おそらく桃枝の看病をした辺りからだろうか。山吹は以前よりも、桃枝と過ごす時間が楽しくて仕方なかった。  いつも難しい顔をしていて、口も目つきも悪いから部下に恐れられていて。そんな桃枝が、自分にだけはどことなく甘い。分かりづらいだけで思いやりを持っている桃枝との時間が、山吹にとってはとても充実していた。 「ったく、周りもどうかしてやがる。忙しい時期だってのに、なんでペチャクチャ喋ったりできるんだよ。挙句、決裁書類を回すのが遅れて……決算って自覚が足りねぇんじゃねぇか?」 「それは『できることを早め早めでやらないと後が大変だから、もっと仕事に集中した方が皆のためなのに』って意味ですよね?」 「は? そう言ってるだろ」 「言ってないです」  こんなにも部下想いなのに、報われない。山吹はグラスに口を付ける。  心の中で、山吹は思う。このまま、自分以外の誰にも桃枝が理解されなければいいのに、と。思ってすぐに、山吹は醜い言葉をウーロン茶と共に飲み込んだ。  ここ数日の山吹は、どこかおかしい。自覚できてしまう程度ではあるが、確実におかしかった。  桃枝が誰かと話していると、気になって仕方がない。以前までは『パワハラ発言の翻訳を頼まれるだろう』という気持ちで耳を傾けていたが、最近は部下以外との会話も気になってしまうのだ。  本音を言えば、先日──山吹が体調を崩した日に、誰と会っていたのか。きっかけがあれば『そう言えば』と考えてしまうくらいには、桃枝のことが気になってしまうのだ。  どこか、自分はおかしくなってしまったのか。【恋情】とは違うはずの感情を持て余しながら、山吹は桃枝を見つめた。 「……ん? なんだよ」 「いえ、なにも。今日もボクの課長はカッコいいなぁって」 「んぐふッ! なッ、は、えッ? おッ、お前ッ、いきなりなに言って……ッ!」 「なんて。ちょっと揶揄っただけでお顔が真っ赤になるところは、相変わらずカワイらしいですね」 「……お前の方が可愛いっつの、阿呆が」  あっさりと翻弄されてくれる姿が、嬉しい。山吹の話に耳を傾け、着飾らずに応対してくれる。  いつの日からか父親の機嫌ばかり窺い、優しかった母親もなにかあればすぐに旦那の話に帰結して……。恋人はおろか友人もいない山吹からすると、桃枝との時間は特別なものだ。  これを、果たして『恋』と言っていいのか。確証が持てないまま、山吹は赤くなった桃枝を見つめてクスクスと笑った。

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