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ジョッキを左右に小さく揺らしながら、黒法師は考える。
「うぅーん、そうやねぇ……」
妙な確信が、山吹の中にはあった。『この男は、綺麗事を言わないだろう』という、妙な確信が。
だから、山吹は知りたくなったのかもしれない。この男が本気で思い描く【優しさ】というものを。
山吹と桃枝が黙る中、黒法師は考え込み……。
「──自分と自分以外の人を【天秤に掛けてから、自分を選ぶ人】やな」
割と早く、答えを口にした。
「人間、結局のところは自分が一番可愛い生き物やろ。やから、ほとんどの人間はわざわざ比べるまでもなく、ところどころの選択で自分が楽であったり、得をしたり……なんにせよ、自分を選ぶんよ。けど、僕はそれを否定するつもりはない」
ぐいっ、と。黒法師はジョッキに残っていたビールを一気に呷る。
「だから、僕が思う【優しい人】は、選択の時点で『自分以外に相手がいる』って考えられる人や。……どや、優しいやろ?」
不思議と、説得力に溢れていた。黒法師は自分の考えに、一切の迷いも抱いていない。
だが、それでも山吹は納得しきれなかった。
「だけど、そんなの……残酷、です。結局自分を選ぶなら、いると分かっている相手の人を傷つける選択をしているってことじゃないですか。それは比べもせずに自分を選んでいる人より、さらに悪辣な気がします」
「その痛みを受け入れたうえで自分を選んだなら、選んだ【自分の幸福】の重みが違うやろ」
山吹の反論に、黒法師はすぐさま返事をする。そうできてしまうくらい、黒法師は自分の考えに自信があるのだろう。
「まぁ、他の大人なら『自分じゃなく、相手の幸福を選べる人』とか言うんやろね。けど、僕はそういう綺麗事には反吐が出るんよ。それはただの偽善者やろ」
突然、黒法師が山吹と似た考えを口にした。
「自分の犠牲が大前提なんて、エゴや。それなら自分を幸せにした後に、きっちりと相手も幸せにしたらええ。そのくらいの覚悟を持って自分を幸せにできる人こそ──犠牲があると理解したうえで自らの幸福を選択する人こそ、優しい人や。……と、僕は思うんよ」
黒法師は笑っていたが、山吹は笑えない。むしろ、目を見ることすらできそうになかった。ゆっくりと、山吹は俯いてしまう。
以前、山吹は桃枝に似たようなことを告げた。
──『優しくしよう』と思って優しくしてくる人には、反吐が出る。そんなもの、周りから『いい人だ』と思われたいがための自慰行為だ。……と。
皮肉なことに、黒法師は山吹と似ていた。他人からの優しさに、どこか辟易しているのだ。
だからこそ、山吹は反論できない。黒法師の考えに『確かに』と同意してしまったのだから。
黙ってしまった山吹を見て、それでも黒法師は楽しそうに笑っていた。
「そう言う山吹君は? 君が思う【優しい人】って、どんな人やの?」
「えっ。ボク、ですか」
「自分から訊いたんやから、そっちも訊かれる覚悟があるってことやろ」
なんて理論だ。滅茶苦茶すぎる。
しかし、例え屁理屈だとしても、黒法師の言葉は正論に似ていた。山吹は上げた顔をもう一度下げて、言葉を探す。
山吹が思う、優しい人。それは、そんな相手は……。
「──わざわざ『返して』って言わなくても、返してくれる人。『欲しい』って言わなくても、くれる人。……そういう人こそが、ホントの【優しい人】だと思います」
山吹にとって、世界にきっと……たった、一人だけ。思わず山吹は、隣に座る男に手を伸ばしそうになった。
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