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 すぐに、桃枝が口を開く。 「水蓮。その話は、もうやめろ」  だが今さら、話題を打ち切りにされたって遅い。山吹は既に、知ってしまったのだから。  バレンタイン後の、土曜日。桃枝が夜、予定があると言っていた。翌日の日曜日も終日、予定があると言っていたことを……山吹は、覚えている。  桃枝が会う約束をしていた相手を、心のどこかで山吹はずっと気にしていたのだが……。 「あぁ、そうやね。部下にするような話じゃあらへんね。上司の──しかも白菊の色恋事情なんて聞いたら、来週からの接し方が悩ましくなってしまうもんな、山吹君?」 「そ、う、ですね」  ──相手は、この男。黒法師だったのだ。  桃枝が運転する車は、進む。山吹が立ち止まっていても、黒法師が愉快気に笑っていても、桃枝は車を進める。  そうしてとある建物に近付いて、黒法師は手を挙げた。 「あっ、そこのホテル。適当に近い場所で停めてや」 「あいよ」  ホテルの近くに車を停めると、すぐに黒法師は荷物を持ってドアを開ける。 「それじゃあ、おおきに。……またな、二人共」  バタンと、ドアが閉まった。そのまま黒法師は振り返ることもなく、目的地のホテルへと歩いて行く。  車内には、ハザードスイッチを押したことによる『カチカチ』という無機質な機械音が響いた。桃枝はどこまでも気まずそうに、自らの後頭部を搔き始める。 「あー、その。悪かったな、山吹。あいつ、ちょっとおかしくて──」  桃枝がやっとの思いで紡いだ言葉は、最後まで響かない。 「──早く。二人きりに、なれるところ。課長と、行きたいです」  そう言った山吹が、スーツの裾を掴んで。 「──今日こそ、約束を果たしてください。ボクが満足するまで、ボクを犯してください」  ジッと、桃枝のことを見つめたのだから。  桃枝はすぐに、息を呑む。この手の話題には、未だに耐性が付いていないのだ。 「いや、今日は……っ。その、色々と準備が──」 「イヤです。今日じゃないと、ダメです」 「けど、お前──」 「シャワーがある場所なら、どこでだって準備できます。だから、問題なんかないでしょう?」  普段以上に強情な山吹を見て、桃枝の赤くなった顔は熱を引いていく。 「お願いですから、ボクを犯してください。……抱いて、ください」  山吹が、おかしい。そう、桃枝は気付いたのだ。 「山吹? どうした?」  問い掛けても、山吹はなにも言わない。返事がこないのだから、桃枝は言葉を詰まらせる。何度も口を開き、何度も口を閉ざして……。山吹にとってはもどかしいことこの上ない動作を、何度も何度も繰り返してから。 「……俺の部屋でも、いいか?」  ついに桃枝は、強引に結ばれた【約束】を果たすこととなった。 「はい。お願いします」  桃枝は、知らない。どうして山吹が、誰とでも寝る男となったのかを。なぜ、セックスを逃避の術として利用しているのかさえも。運転を再開した桃枝は、知らないのだ。  暴力には、テクニックもなにも要らない。山吹のセフレがどうして山吹を求めたかと言うと、理由は単純。【扱いが楽だった】からだ。  セックスがヘタでも、暴力があれば山吹は悦ぶ。可愛い男で性欲が発散できて、なおかつセックスがヘタでも構わないときたら? 山吹が男女問わずセックスの相手として求められるのは、解明していけばなんとも虚しい理由だ。  だから、閉口する。山吹は桃枝にそれ以上、車内でなにも言わなかった。  口を開けば開く分だけ、なにかを壊してしまいそうで。……山吹は桃枝に、なにも言えなかった。

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