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 桃枝が暮らすマンションに着き、山吹はすぐにシャワーを借りた。  準備を終えると同時に、今度は入れ替わりで桃枝が浴室へと向かう。その足取りはどこまでも重たげだったが、山吹は発言を撤回してあげられなかった。  やがて、桃枝が浴室から出てきて。二人はなにを言うでもなく今、寝室のベッドに腰掛けていた。  桃枝は、気まずそうに両手の指を合わせている。時折、深呼吸のような音を出すだけ。桃枝から動く気配は、生憎となさそうだ。  山吹はそっと、隣に座る桃枝を見る。それからすぐに、口を開いた。 「いいんですか、課長。ボクと、こんな関係を続けていて」  あまりにも、寒々しい言葉。ベッドイン手前の恋人同士が語るには、あまりにも冷めたトークテーマだった。  当然、桃枝の表情は困惑を表す。眉を寄せながらも、目を丸くして。桃枝はジッと、山吹を見た。 「はっ? なんだよ、いきなり」 「課長、長男だったんですね」  ポンと返される言葉に、桃枝はますます不可解そうだ。 「まさか、水蓮が話していたアレか? なんでお前がそんなこと気にするんだよ」 「今は、ボクが課長の恋人なので」  またしても、即座に返された言葉。桃枝はすぐさま、不快そうな表情を浮かべる。きっと『今は』という限定的な言い方が気に入らないのだろう。  隣に座る山吹は、桃枝の服を着ている。サイズが合っておらず、桃枝からすると『可愛い』とテンションの上がる姿だが……今は、そんなことに喜んでもいられない。 「なにを勘違いしているのか知らねぇが、少なくともお前が気にすることなんかねぇっつの」  冷たく返された言葉に、山吹は反論をしそうになる。  気にすることならある、と。今は自分があなたの恋人なのだから、なんて。どの口がと嘲笑されそうな言葉が、喉の奥から溢れかけた。  しかしそうした言葉たちは、続く桃枝の言葉を受けて。……一気に、腹の底へと沈んでいくのだった。 「──確かに俺は長男だが、いいんだよ。跡取りとか、そういうのは。姉の旦那が、もう継いでるからな」  ここで、ようやく。山吹は、確信した。 「……お姉さんの、旦那さん?」 「あぁ、そうだ。……っつぅか、アイツ。それくらい知ってるくせに、なんでわざわざあんな話持ち出してきたんだよ。クソッ、迷惑な奴だな……」  桃枝は気付いていないようだが、山吹には分かる。 「……っ」  ──黒法師に、全てを見抜かれていた。山吹は、揶揄われたのだ。  悔しさから、思わず山吹は両手で拳を作る。今さら気付いたって、悔しがったって、なにもかもが遅いと分かっているのに。  黒法師は、陽気で美人な頭のいい男だ。だが、それは彼の表面をさらったソトヅラだった。  ──黒法師という男は、初めから山吹で遊んでいたのだ。  胸が、ザワザワと騒いでしまった。桃枝が、山吹から離れる可能性に。  手放したくない、離れてほしくない、そばに置いておきたい、そばに居てほしい。……山吹の感情は、今まで得たこともないほどの情報量を処理できずに、グルグルと不快な色へと変わっていく。  そして、ついに……。 「……ふっ、あはっ。あははっ!」 「や、山吹っ? どうした、突然?」 「ふふっ、いえ、すみません……っ。ただボク、気付いちゃったかもしれないんです」 「気付いた、って……いったい、なににだよ?」  まとまらない感情に、グラつく思考に。山吹は不思議と、笑いが止まらなかった。 「ボクね、課長が相手でしたら、セックスをするのにお金は要りませんよ。ご飯も奢ってくれなくていいですし、ホテル代も請求しません」  感情が答えを出せなくても、思考がまとまる気配を見せなくても。それでもただひとつ、分かっていることがあった。 「──これって、もしかすると【恋】ですかね?」  桃枝に対して、グチャグチャとまとまらない気持ちの名前を、絶対に向けてはいけない。……それだけはハッキリと、分かってしまったのだ。

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